運動(テクニック)だけで音楽になる?

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バッハ あなたが側に居てくれたなら ヴィオラ・ピアノ

 今回のテーマは「音楽を演奏する」ことと「演奏するテクニック」の関りについて考えるものです。
 結論から言えば、テクニックが足りなければ表現できる音楽も限られる=音楽を表現するにはテクニックが不可欠だという事です。
「卵が先か?ニワトリが先か?」とは意味が違います。動力源のない自動車はありません。運転するテクニックがなければ、高速で車を運転することはあり得ないことに似た話です。

 楽器で音楽を演奏する「人」にとって、うまく演奏できない!音程が~!雑音がかr~!(笑)というストレスは避けて通りない「壁」です。ピアノと違い「音の高さ」が不安定で、雑音も出やすいのがヴァイオリンです。
どうしても「音」が気になって「音楽」に気が回らないというケースが見受けられます。
 プロのソリストの演奏を聴いていると「当たり前」のように正確に・雑音なく演奏しています。言い換えれば「ミス」は誰にでも見つけられるものですが「音楽」を感じられるか?何も感じないか?にこそ、大きな差があります。

 演奏の技術を身に着けるために、練習と言う時間が必要です。どんな技術が必要なのか?と言う問いに対して、一つの答えはあり得ません。「何をしたいのか?」「どう?演奏したいのか?」によって、必要な技術とレベルが違うからです。「ヴァイオリンとは!」と大上段に構える人もいますが、どんな楽器でも、同じことが言えます。
もし「美しい」と感じた音楽を「美しく」演奏したと思うなら、「美しい音」の出し方を考えて必要な技術を身に着けるべきです。
もし「誰より速く、誰よりも正確に演奏した!」と思うなら、機械のように何度でも正確に・速く演奏できる技術を身につけたたいと思うでしょう。
「美しい」と「速く正確に」では、必要な技術に違いがあります。厳密言えば「より重要な技術」に違いがあります。
理想を言えば「美しく速く正確に」演奏できることですよね(笑)ただ先述の通り「速いか?正確化?」は誰でも評価できることです。だからこそ「こちらを優先」!」するという考えもあると思います。
楽譜の通りに、速く正確に、雑音を入れずに演奏できれば「音楽」になるか?私は「ノー」と答えます。パソコンに打ち込んだ楽譜を聴いて「素晴らしい演奏だ!」と感じないからです。間違えない・失敗しない・速く何度でも再現できることだけを「素晴らしい」と言うのDなら、機械に勝てる人間はいません(笑)「AI」が進化して楽譜を「個性的に」表現する時代になります。それが「音楽的」と感じるかどうかは、人間に課された問題です。
 人工知能が、過去のソリストたちの「名演」を科学的に一音ずつ分析し、データ化して「良いとこどり」をすることも可能でしょう。ある曲の一部は「オイストラフ風に」演奏し、速い楽章は「ハイフェッツ風に」えんそうすることもできるでしょう。「音」について、ヴァイオリンを使わなくても、ヴァイオリン例えばストラディヴァリウスの楽器の音を「完璧に」再現できるスピーカーとコンピュータを使えば、演奏者は不要です。

 演奏の「技術」を考える時、何のための技術なのか?から考えるべきだと思います。「自分の好きな味のラーメン」を作るための技術なのか?レシピ通りに、間違いなく速く作る技術なのか?必要になる技術は違うはずです。味見をしないで料理を作り、人に「どうぞ」と出す料理は「料理」ではなく「食物」と言うべきです。考えずに演奏した「音」は音楽ではなく、あくまでも音でしかないと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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