上の演奏は大学4年の卒業試験前におこなわれた発表会。ドボルザークヴァイオリンコンチェルト第1楽章。高校3年間、大学4年間の最後の実技試験で演奏する曲にこの曲を自分で選んだのですが、地味(笑)な選曲でもあり、自分らしい選曲のようにも感じます。
今回のテーマは、モチベーション=やる気を持続するために、どんな方法が効果的なのかを考えるものです。
生徒さんのなかで、ドロップアウトするケースを考えると多くの場合「やる気がしなくなった」という理由です。大人でも子供でも同じことが言えます。やる気…練習して上達する意欲です。その意欲がなくなってしまえば、当然楽器を練習する「意味」がなくなります。ヴァイオリンに限ったことではありません。子供が学校の勉強する時、自分で意欲的に現況するのは、とても稀なことに思うのは私だけでしょうか?親や学校の先生が「お尻を叩いて」勉強させるケースがほとんどだと思うのですが…。違っていたらすみません(笑)
ヴァイオリンと義務教育を、同じ土俵で比べてはいけないとは思いますが、やる気を維持できれば、より高いレベルに到達できるのは同じです。
逆に言えば「いやいや」勉強したり、練習したりすることが習慣になってしまえば、得られるものより失う時間の方が大きいように思います。本人がやる気をもって向き合えるか?を親や指導者が考えるのは、至極当たり前のことです。自分で考えられる年齢になってからの方が、モチベーションの持続は難しいことかもしれません。
趣味で楽器を演奏する人の場合には「やる気がなくなったらやめれば終わり」です。それが当たり前です。どんなに高い道具を買いそろえていたとしても、無駄になったと感じないかも知れません。
一方で「仕事」としている事に、モチベーションを維持できなくなると、大きなストレスがかかります。生活のため…と我慢しながら、いやいや働く人も周りにはたくさんいます。同じ仕事でも生き生きと働く人もいます。はたから見た眼の問題ではなく、本人の問題です。辞めたくてもやめられないストレスをためすぎると、最終的に精神を病んでしまうまで我慢してしまいます。「生きててなんぼ」と思って辞められれば救われます。
趣味はもちろんですが、仕事でも「命を懸けて」まで、何かをすることは間違っていると思います。確かに誰かの命を助けるために、自分の命を懸けることが「正しい」のかも知れませんが、結果=未来は誰にもわかりません。自分が「命を懸けた」行為で、本当に命を落とし、弥助用とした人も命を落としたとしたら…と考えると一概に「正しい」とも言えませんよね。
ヴァイオリンの演奏「ごとき」(笑)に命を懸ける価値はありません。まぁ、そんな選択を迫られるような場面には遭遇しないのが普通ですが(笑)
「欲」がある間は、モチベーションを保てますよね。「欲」を考えると実はその先にある「飴=にんじん」に向かっている状態です。ところが、その飴を「取らなければいけない」と思った時から「義務感=鞭」に代わってしまいます。しばらくはそれでモチベーションを維持できても、やがて「なんで?ここまでして飴をとらなければいけないの?」という事に気付いてしまいます。
つまり、モチベーションを維持するためには、常に「飴」が必要なのです。「鞭」では維持できないのです。自分自身にご褒美をぶら下げながら、楽器の練習をする姿を想像すると情けないような気になるかも知れません。しかし、良く考えれば「生きたい」と思うことだって「飴」なのです。だからこそ、嫌なことがあっても、我慢できるのだと思います。
ヴァイオリンをいくら練習しても上達しない時に、モチベーションが下がるのは自然なことです。そんな時、無理やり「鞭」を入れるより、自分にご褒美をあげることの方が大切だと思います。「ここまでよく頑張った!」「えらぞ!」「すごいぞ!」大人になって言われることのなくなった言葉です(笑)自分自身をほめてあげることが、モチベーションの維持に不可欠だと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介