映像はチャイコフスキー作曲のピアノ曲をアレンジした「ノクターン」です。主にチェロで演奏されることが多いのですが、ヴァイオリンとピアノで演奏しました。
シンプルな和声進行と心に残る旋律が大好きです。
今回のテーマは、音楽の流れを「時間経過」と「風景(空間)の動き」に置き換えて考えてみるものです。
音楽を「楽譜」として考えることもできます。また「音」として考えることも大切です。
楽譜として考える場合は「音を記号化したもの」であり、音楽はその記号を音にしたもの…と言えます。
楽譜は「縦軸」が同時になる「音の重なり」を表します。映像に例えるなら「静止画」です。時間を「切り取った」ものでもあります。「横軸」が「音の連なり」です。左から右に順序良く「連続した音」です。
この縦と横「2次元」の記号が演奏者によって「音楽」になるわけです。
音楽を「音」として考える場合には、記号と違って「最低限の時間の長さ」が必要です。どんなに短い音であっても、人間が「音」として感じられるだけの時間が必要だという意味です。また人間の耳に聴こえる空気の振動が「音」ですが、聴こえやすい音と聞き取りにくい音の「高さ」と「大きさ」もあります。高すぎると聞こえにくく。低すぎる音は音の高さの違いを感じにくくなります。ピアノで演奏できる音の高さは、88鍵盤のピアノでAを440Hzにした場合、およそ27.5 から 4186Hzです。人間が音として聴こえるのが、20~20,000Hzですから、ピアノの最低音は、ほとんどの人にとって音の高さを聞きわける限界に近い低さです。最高音はまだ余裕がありますね。最高音のオクターブ高い音が、約8300Hz。さらにオクターブ高いCが約16,600Hz。音楽に使える音ではありませんが。
話が横道にそれましたが、「音」として音楽を考える場合には「時間の経過」と共に変化する「高さ」「強さ」「音色」を感じることになります。
ここからは、音楽を「目に見える風景」として考えてみます。先ほど「静止画」の例を出しましたが、「動画」は静止画を連続して少しずつ変化させたものです。人間が「錯覚」して「動いている」と認識しているものです。
あれ?実際に動いている「物「や「人」を見ている時にも錯覚しているのかな?物理の世界ではそれが正解です。
物体に「光」と言う波=素粒子の一つがぶつかります。それを私たちの「網膜」と「脳」が「見えた」と感じているのです。ですから厳密に言えば「物が動いているように感じる」のが「見えた」と言う感覚です。あ。また話が反れた(笑)
小川の流れを立ち止まって見ているシーンを想像してください。自分は止まっているのに「水が動いている」ことになります。周りの風景は動きません。
では小川にボートを浮かべて、川の流れに乗って「水と風景」を見たらどうなるでしょうか?水は止まって見えます。周りの風景が「動いているように見える」はずです。
進行方向に向かってボートに乗っていれば?
これから自分に「近づいてくる」ものと、止まっているように見えるボートが見えます。後ろ向きにボートに乗れば?これから近づいてくるものは見えませんよね?川の水とボートは同じように止まって見えますが、風景が自分から「遠ざかっていく」連続になります。
前者が「音楽を演奏する人」で、後者(後ろ向きにボートに乗っている人)が「音楽を聴く人=聴衆」です。
演奏者は「これから近づいてくる」音=風景を知っています。聴衆は?「聴こえてきた音楽=風景」が過ぎ去っていくのです。どんな風景が見えてくるのか?もしかすると、この先に急流があったり、緩やかになったりすることがあるのか?演奏者は知っていますが、聴衆は過ぎていく音に驚いたり、癒されたりします。
演奏者が後ろを向いてボートに乗ったら?(笑)
船頭さん(普通は船長さんという)が後ろを向いていたら、ボートがひっくり返りますよね?お客様は楽しむ以前に命が危ない。
演奏者は次に「現れる風景」を大きくしたり、小さくしたりできます。明るくしたり暗くしたり、遅くしたり速くしたりできるのです。その「差」が大きいほど、聴く人は驚いたり癒されたりします。風景が「楽譜」だとしても、ボートの速さを変えることも、出発する時間を変えて明るさを変えることもできます。演奏者が自由に「演出」できることはたくさんあります。
演奏者は何度も練習して「次の音」を間違えないようにします。それがいつの間にか「足元だけしか見ない」演奏になっていることがあります。当然ですが、次の音を飛び越えて三つ先の音を演奏することはあり得ませんよね(笑)次の音がちゃんと弾ければ「よしっ!うまくいった!」と思うのが演奏者です。それをすべての音符ごとに連続するのが「演奏」です。でも、足元だけ見てハイキングを楽しむ人はいなせんし、ボートに乗ってずーっと、船の舳先(へさき)だけ見ている人もいないと思います。安全に山道を歩くだけなら「足元だけを見て歩けば転ばないかも知れませんが、その先に「崖(がけ)」ああることに気付くのが遅れれば?恐ろしい…
演奏する人には「先を見ながら足元を見る」ことが求められます。聴く人は「過ぎ去る風景を楽しむだけ」で良いのです。もちろん、演奏者も風景を楽しむ権利(笑)があります。自分の演出した「風景」で聴いてくれる人が喜ぶ姿が何よりも嬉しく感じられるのも「転ぶかもしれない」恐怖を乗り越えたご褒美でもあります。
音楽は時間の芸術です。過ぎていく時間の中に生まれるのが音楽です。同じ長さの時間でも、人によって・場合によって感じ方は違います。「時が止まって感じられる」ような演奏も素敵です。逆に「早く終わって~!!と思う演奏は悲惨です。その感じ方が人によって違うのも事実です。
時間を大切に!ですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介