映像は、ピアソラの単語の歴史より「カフェ・ナイトクラブ」
タンゴに限らず、日本人には馴染みのない「海外の音楽」はたくさんあります。
ウインナーワルツも私たちが感じる「リズム感」は恐らく形だけのものです。
だからと言って、日本の「民謡」だけを演奏するわけにはいきませんよね。
演奏する人にとって、技術や知識の一つ一つは「引き出し」だと思います。
その引き出しの数と中身が多いほど、演奏者の「ボキャブラリー=語彙」が増えるように感じます。
一曲を演奏する時に、必要な引き出しはたくさんあります。
ヴァイオリンの場合、技術の引き出しは「右手」「左手」「身体の使い方」の分類があり、さらに「指」「手首」「関節」「筋肉」「力」「呼吸」などに細かく分かれます。それぞれにさらに細かい「仕分け」があります。
また知識の引き出しは、「作曲家」「時代」「国や地域」「民族性」「音楽の理論」などの分類があります。さらに演奏しようとする曲と似ている音楽をどれだけ知っているかと言う「演奏した曲=レパートリー」の引き出しも必要です。
演奏の仕方を考えるうえで、他の演奏家の演奏を知っていることも、大切な引き出しです。
自分の演奏方法、たとえば音色の「引き出し」が一つしかなければ、どんな音楽を演奏しても、同じ音色の「べた塗り」にしかなりません。まさに「色」の種類の多さです。
感情の引き出しも必要です。「喜怒哀楽」と言う4つの大きな引き出しの他に、怒りを感じる悲しさ、微妙な嬉しさなど、複雑な感情の引き出しがあります。音の大きさが無段階であるように、感情にも複雑で繊細な違いがあります。
一つの音を演奏する間にも、音色・音量は変えられます。言葉にするなら「単語」にあたる音楽の「かたまり」を見つけられる技術の「引き出し」も必要です。
人間をコンピューターに例えることは無謀なことですが、人間の記憶という面で考えれば、コンピューターにも同じ「記憶メディア・記憶容量」と言う考え方があります。
また瞬間的に考えたり反応する速度は、コンピューターの世界では「処理速度」で表され、その速度が速いほど複雑な計算を短時間で処理できます。
人間が手足を動かす「命令」を脳が出すことを、ロボットに置き換えると、なによりも「手足」にあたる「機械=アスチュエーターの性能がまず問題です。
そして、脳にあたる「CPU=中央演算装置」から部品に電気信号が送られます。
速く演奏することは人間にとって難しいことですが、機械にとっては一番簡単なことの一つです。一方で、人間が無意識に行っている「なんとなく」と言う事こそが、コンピューターにとって最大の壁になります。多くの情報を基に、過去の失敗や成功の結果を「記憶」から検索し、最も良いと思われる「一つの方法」を見つけるためには、私たちが使っているような「パソコン」では不可能なのです。
ご存知のように、将棋やチェスの「コンピューターと人間の対決」で、この頃はコンピューターが勝つことが増えてきました。これは膨大な「過去のデータ=引き出し」をものすごい速度で検索し、最善の手をコンピューターが選べるようになったからに他なりません。
音楽をコンピューターが「選んで」演奏する時代が来るかもしれません。
感情と言う部分さえ、データ化されている時代です。「こんな音色と大きさで、こんな旋律・和声を演奏すると人間は悲しく感じる」という引き出しを、いくらでも記憶できるのがコンピューターです。しかも一度入力=記憶したデータは、人間と違いいつでも、最速の時間で呼び戻されます。
人間の人間らしい演奏。その人にしかできない演奏。それこそが、最も大切な「引き出し」です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介