年齢と演奏

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 映像は五嶋みどりさんのデビュー当時と今から数年前のものです。
「天才少女」は現在、なんと?評すれば良いのでしょうね。
今も幼いころも素晴らしいい演奏課であることは変わりません。

こちらは、イツァーク・パールマン。現在御年76歳の世界的ヴァイオリニストです。私が中学生の頃に、東京上の文化会館で初めて演奏を聴き、出待ちをしてサインと握手をしていただいた「憧れ」の演奏家。今、思えば当時まだ20代だったことになります。

 人間の理性=考える力は、13~14歳で成人と同じ能力を持つそうです。
一方肉体は、20~22歳頃がピークだと言われています。人間の細胞が再生できる限界があって、120歳までが生存できる限界だと言われています。日本人の平均寿命は年々長くなり、2019年現在84.36歳!アメリカが78.79歳だそうです。
そんな人類ですが、もちろん人によって一生の時間は違います。健康に活動できる年数も違います。一概に平均だけでは、人の一生を語れないのは当たり前です。

 演奏家として活動できる期間は、人によって大きな差があります。
たとえば2歳から楽器を演奏し始めた人と、20歳から始めた人を比較すれば、それぞれが21歳の時点で考えた時、方や19年間、方や1年間。その演奏技術に違いがあって当たり前です。しかし、その二人が40歳になった時点で考えるとどうでしょうか?もちろん2倍近い期間の違いがあります。ただ、当初は19倍だった差が2倍にに減ったことになります。それだけではありません。良く「小さい頃から楽始めないと上手になれない」という間違った説を唱える人がいます。絶対音感を身に着けるための年齢は、確かに言葉を覚える時期から始めることが絶対に有利だとは思います。しかしそれ以外の「能力」については、始める年齢の問題は大きな差ではないと思います。

 10歳に満たない子供が、大人と同じような演奏をするのを見かけます。
とても不自然に感じます。まず、考える力が成人と比較して、まだ未成熟な年齢です。楽譜を読む能力、分析する能力に差があるのが当たり前です。
記憶する力は成人と変わらないかも知れません。モーツァルトの「伝説」のように音楽を聴いて覚える力はこどもにもあります。音楽を聴いて感じる感情を、具現化する能力が大人と同じであるはずがないと思うのです。景色を見て感想文を書いたとしたら、7歳の子供が大人と同じような文章を書くでしょうか?
 運動能力はどうでしょうか?
筋力は20歳頃がピークになりますが、楽器の演奏に必要な筋力は恐らく10歳に満たない子供でも「演奏可能」だと思います。特にピアノを演奏する幼児を見ると、大人と同じ大きさ、重さの鍵盤を演奏する力に「近い」力に驚きます。
身体の大きさに合わせた「分数楽器」があるのは、ヴァイオリンとチェロです。それ以外の楽器は子供用の楽器は普通、使用されません。分数楽器の音量はフルサイズの楽器より小さい音になります。だから、コンクールなどで半ば無理やり、1サイズ大きい楽器を演奏する子供を見かけます。それって、必要なことでしょうか?間違った指導だと私は思います。
 幼児が大人のような演奏する「裏」には、大人の指導者が大人の「真似」をさせている姿が透けて見えます。子供が自分で考えた音楽ではなく、指導者が考えた音楽を「そのまま」演奏させているとしか思えません。
子供ならではの感受性があります。大人とは違います。当たり前です。子供が感想文で、音難が書いたような言葉遣い、表現をしたらすぐに「親が書いたな」とばれますよね?それを平然と音楽で子供にやらせる世界に、違和感を感じます。

 20歳を過ぎた私たち(過ぎたと言えるのか?w)は、どうでしょうか?
細胞は生まれ変わります。現実に80代になっても世界の山を登る登山家や、筋骨隆々な高齢者ボディビルダーもおられます。何よりも、演奏に必要な筋力は、10歳に満たない子供の筋力でも足りることを考えれば、60代の人間が「もうだめだ」と言うのは、まさに自虐です。パールマンしかり、ロストロポーヴィチしかり。演奏に必要な技術も、考える力もまだまだ現役だと思います。
さらに言えば「経験」は年齢を重ねた分だけ大きくなります。
演奏を聴く人の年齢に制限はありません。その人たちが感じることは、その人の経験から得た「記憶」に基づいています。20代より40代、60代、70代の方が人生の経験は豊かなのです。自分が毎日経験する小さな出来事が、すべて音楽に活かされているはずなのです。経験は人に伝えても「言葉」にしかなりません。ただ、音楽を演奏する時に感じる「イメージ」は一つでも多い方が良いはずです。
聴く人に伝わる演奏者の「人間性」があります。子供の演奏に人間性を感じるとしたら「かわいい」「がんばって練習したんだな」しかないはずです。子供の演奏が大人の感情を揺さぶったら、恐ろしいですよね?

 最後に、楽器の演奏に「もうだめだ」と言う考えは捨てるべきだと思うのです。聴力の低下で自分の音が正確なのか?判断が鈍ったとしても、演奏は出来るはずです。眼が見えなくなっても演奏は出来ます。私はそう信じています。
大人から楽器を演奏し始めたから「上手になれない」と決めつけるのは間違いです。たとえ、余命を宣告されたとしても本当に楽器を演奏することが好きなら、最後まで楽器を演奏することが楽しいはずなのです。
 子供に大人の真似をした演奏はさせて欲しくありません。曲がどんなものであっても、子供が演奏したいようにひかせてあげれば良いと思うのです。「そんな演奏では○○音楽学校に入学できませんよ!」とか「△△コンクールで上位に入りたいなら!」という「えさ」と「脅し」で子供を釣るのはやめて欲しいのです。親が最初に釣られます。そして子供をけしかけます。「子供の将来のために」と言うのは、子供の人権を侵害している事だと気づくべきです。子供にこそ、子供の時にしかできない経験をさせてあげることの方が、演奏家として活動する年齢になったとき、そして60代になって師匠も親もいなくなった時に感謝される大切な宝物だと思います。「ビジュアル系ヴァイオリニスト」なら演奏能力には関係ありません。顔とスタイルが良ければ「一時的」にファンが増えます。もっと若くてかわいい・かっこいい人が現れたら「さようなら」ですが。それを「演奏家」と呼ぶのは彼らに失礼です。「芸能人」と呼んであげるべきです。それを望んで仕事をしておられるのですから。彼ら・彼女らの演奏技術がどうのこうの、言う方が無粋だとも思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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