師匠と弟子の関係

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だいぶ前にも書いた記憶がありますが、今回は時代とともに変わる師弟関係について考えます。
先生と呼ばれる職業には、幼稚園や学校の教師、お医者さんがあります。
議員を「先生」と呼ぶ人もいますが私には違和感があります。

師匠と呼ばれる人の「職業」は様々です。落語家、舞踏家、いわゆる芸人なども思いつきます。
相撲部屋の「親方」は師匠なのかな?と迷ったりします。「親代わり」という意味合いでの親方という呼称なのでしょうね。大工さんにも親方っていますね。

さて、音楽の世界で「師匠」と呼ばれる人と、その「弟子」に当たる人の関係を考えます。
本来、師匠は弟子に「頼まれて」芸や技を教え、伝えるものだと思います。
師匠が「私の弟子になってください」と頼む光景は想像しにくいですよね。
自分がヴァイオリンを学ぼうと思い、技術を向上させたいと思ったとき、
あなたなら「誰に」技術を教えてもらいたいですか?
「誰でもよい」とは思わないのではありませんか?
「あのヴァイオリニストに習いたい」と思うのが「芸の世界」だと私は思っています。もちろん、例外もあります。私もその一人です。

両親がなんの予備知識もなく「有名だから」という理由だけで、私の師匠のお宅の門をたたきました。私はその先生(師匠)のお名前も存じ上げませんでした。それが私と久保田良作先生(師匠)との出会いです。
こんなことってあるんですね。案外多いのかもしれませんが。

話を戻して、自分の意志で師匠を選べる年齢であれば、自分で師匠に弟子入りをするのが礼儀だと思います。それが「芸事の常識」だと思います。

落語の世界で弟子入りし、「内弟子」として家の用事を手伝いながら住み込みで師匠の芸を「いつか教えてもらえる日」を待つ世界があります。
とても分かりやすい「師弟関係」です。
その師弟関係にも言葉にしない「契約」があると思います。
つまり、どんな師弟関係にも、「信頼」という契約がなければ、お互いに不幸な結果につながるのです。

音楽大学で学生にレッスンをする「教員」は、大学という組織の一員です。
その大学と先生の「契約」がまず、存在します。内容は様々ですよね。
その先生が教える学生は、先生と「師弟関係」と言えるのでしょうか?
これはすべての学生と先生に言えることですが、「大学の一員」という契約と、先生と生徒という関係が「師匠と弟子」という関係か否かという問題があると私は思います。

「権利と責任」は学生にも教員にもあります。その意味では「公平」な関係です。
一方で「師弟関係」は明らかに師匠が「上の立場」なのです。そういう契約なのです。弟子は師匠に逆らえません。どうしても我慢や納得が出来なければ、「破門」されるしか方法はありません。もちろん、師匠が常識的に考えて、許されないことを弟子にしたのならそれは別の問題ですが、多くの場合は、弟子が「耐える」のが芸事の世界だと思います。

大学生に話を戻すと、学生も先生も「お互いを選ぶ」権利を持っています。多少の制約はありますが、師弟関係の場合とは違います。大学という組織が決めたルールでお互いが巡り合います。

自分の望まない先生・自分の望まない生徒に巡り合ってしまった場合を考えます。
どちらも「不幸」です。ですが、それは大学が決めたルールの中で巡り合ったことなのでどちらも諦めるしかありません。
つまり、大学の場合は「師弟関係」としてお互いの信頼関係が成り立つか否かは、後になってからしかわからないということなのです。

学校を離れ、私的な立場で師匠を探し、門下として弟子入りするならば、師匠が「もう教えることはない」というまでは、弟子であるべきだと私は信じています。
弟子の立場で「もう習うことはない」と師匠の門下を離れ、違う師匠のもとに弟子入りするのは、個人的に嫌いなのです。はっきり書いてしまいましたが、自分自身が久保田良作先生という師匠に弟子入りして以来、他の先生に習いたいと思ったことがないので、正直に書きました。気分を害されたらすみません。

現代は信頼よりも契約が優先する時代です。要するに「気持ち」よりも「紙切れ」が大切だということなのです。
心のない演奏は音楽ではありません。
音楽を習うということは技術を習うのではなく、師匠の心を覗き見る努力をすることだと私は思っています。

野村謙介

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