メリーミュージックブログ

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50年前の自分に説教ww

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 動画(音声だけです)は私が中学2年生の時に銀座ヤマハホールで
行われた師匠久保田良作先生門下生の発表会で演奏した「ハイドン ヴァイオリンコンチェルト 第1楽章」の録音です。元はもちろんカセットテープの音です。ピアノは‥すみません。情報も記憶もがありません😿覚えているのはこの発表会の数カ月前にヴァイオリンを新調して1808年制の楽器に持ち替えたという事。さらに中学1年生になってから久保田先生のレッスンを受けるまでの約2年間、先生の奥様由美子先生のレッスンをご自宅の2階で受けていたこと。
 当時は東京都小金井市に父が建てた自宅に家族4人で暮らしていました。5年生になるまで父の転勤で社宅を転々とし転校ばかりしていました。なんにしてもヴァイオリンに打ち込む子供ではなかった事は事実です。サラリーマン家庭の我が家にとって似つかわしくない高価なヴァイオリンを買ってもらっておきながら!しかも当時から桐朋学園大学の教授を務められ現在の天皇陛下=当時は浩宮殿下にヴァイオリンを指導されていた高名な先生の門下生に加えて頂いていたにも関わらず!なのです。環境にこれほど恵まれていながら当の本人は?熱心に練習するでもなく将来の夢を「ヴァイオリニスト」と考えるでもなく、いたって平凡な中学生として生活していました。

 ここまで読まれた方はきっと「優しくて子供の教育に熱心なご両親だったんだ」と感じられるはずです。事実、私の両親は今思い返しても優しく子煩悩でした。当時の平均的な生活レベルを正確には知りませんが恐らく「中の上」(笑)位の環境だったのでは?と思います。
お金持ちでもなく貧乏でもない。当時はほとんどの家庭がそんな状況だったように思います。今のような格差も少しはあった気がしますが、それはむしろ「戦後のかけら」とも言える部分だった記憶があります。

 ヴァイオリンのレッスンは週に1回。東中野から徒歩5分ほどの久保田先生のご自宅まで母親と一緒に往復していました。恐らく土曜日か日曜日の日中レッスンが殆どだった記憶があります。武蔵小金井から中央線の快速電車「赤い電車」に乗って中野か三鷹で総武線直通の中央線各駅停車「黄色い電車」に乗り換えて通っていました。
 自宅での練習は?まさに「仕方なく」と言う感じでした。親に言われてから練習するのが当たり前。時間は多分30分。内容はレッスンに持っていくカール・フレッシュのスケール(音階)とクロイツェルやフィロリロなどのエチュード、さらに「曲」と呼んでいたコンチェルトの「一部」をチョロチョロっと弾いて「おしまい!」
 これで上達する子がいれば「むしろ天才」ですが平凡な子供の証のようにレッスンは毎回同じような事の指摘が繰り返される。
母も父も事あるごとに「嫌ならやめなさい」と叱るのですがヴァイオリンをやめたからと言って他にやりたいことがあるわけでもなく、5歳年上の兄のように勉強もスポーツも優秀!になれる希望もなく。
叱られると「やめない」だけの日々が続きました。
なんという!天邪鬼?わがまま?おバカな子供でしょう。
その日々が少しだけ?大きく?変わったのでこの発表会に出させて頂く「お許し」を先生から頂き、レッスン時に一度だけピアノ「の先生」←これが誰だったのかさえ思い出せない‥との合わせがあったのを覚えています。当然「初めてのピアノつき演奏」でした。母も私も妙に感動し(笑)珍しく夜になったレッスンの帰り道「なんか嬉しかったね」と会話したのを覚えています。それまでヴァイオリンは「レッスン」のために練習していた子供にとって「音楽」としてのソロヴァイオリンを経験したのがこの日でした。

「合奏」でヴァイオリンを弾くことの面白さは「部活」ですでに感じていました。公立中学にも関わらず音楽教諭でクラブ活動の顧問でもあった室星先生との出会いも私の人生を決定する大きなものでした。
恐らく私費を使って買い集めたと思われるヴァイオリン、チェロ、フルート、トランペット、メロホン=ピストン式のホルン、打楽器、後は「電子キーボード」での合奏。当時ヴァイオリンを学校外で習っている子供は学校で恐らく私だけでした。当然「スター誕生」ww
何よりもそこで出会ったクラスも学年も違う「仲間」との関係が心地よく楽しかった!初恋の相手‥はそのクラブにはいない女の子でしたが(笑)
ヴァイオリンを弾く楽しさを初めて感じながら自宅での「レッスンの為の練習」には必要性も感じていませんでした。こうなると完全に「豚に真珠」「猫に小判」「宝=ヴァイオリンの持ち腐れ」
「反抗期」とは言えども‥もしも自分の子供だったら?もし自分の生徒さんだったら?考えてみます。

子供の成長過程で「自我」「自立」つまり大人の一般的な「モラル」「マナー」特に他人と自分の関係性を考えた発言などが出来る年齢には大きな個人差があります。総じて女の子は早期に自分と他人との関係性を感じ「おとな」に近い言動が出来るようです。
 自分の子供・自分の親や家族「だから許せない」事と「だから許せる」事があります。これは年齢を重ね経験を重ねるほどに感じるものかも知れません。「許せない」ことは家族の性格から派生する言動・行動に多く感じます。親子は互いに特別な関係=他人とは違う関係性を感じながら生活します。「許せる」中に例えば服装‥家庭によって違いますが‥や約束を忘れた時などの「あまい謝罪」などもありますが、他人だとしても許せる範囲が広がるのは「寛容な心」と考えれば悪い事ではないですね。
 私の「不謹慎」なヴァイオリンへの取り組みを少しでも早期に改めさせていたら?仮定の話は無意味ですが、今現在「子供」を育てている人=大人にとって共通の問題でもあります。

「体罰」を肯定し「必要だ」と主張する人間を心の底から軽蔑します。「言っても分からない人間には体罰が必要!」程度の知能しかない人間は通常の生活をしている人の「害悪」でしかありません。相手を恫喝し怯えさせて自分に従わせるのは「馬鹿でもできる」最も簡単な「抑圧厚意」です。要は相手の恐怖心を利用するだけの「野生動物」つまり言語を持たない生物のする行動です。むしろこの言語さえ理解できない人間が他人に害を及ばす前に病院で隔離するべきです。「人権」を考えるためには言語を理解できる頭脳を持っていることが前提です。
 体罰や「脅し」「ちから」で子供を自分=大人の思ったように行動させることで大人は「良かった」と自画自賛しても子供は不幸なだけです。「服従」させられた子供に演奏の技術が身について「神童」「天才」と呼ばれ、育てた大人たちは自分の名誉のように誇らしく思うでしょう。確かに「大人のエゴのなせるわざ」です。
「子供は大人の言う通りにすれば良い子に育つ」
これこそが間違った教育「大日本帝国」時代の間違った「思想教育」です。

ヴァイオリンを練習すること、それは自らの意志で人に何かを習うことの意義を感じることです。練習の成果だけを評価するのは誰でもできることですが問題は演奏した本人が音楽に向き合う気持ちを持ち続けられるか?と言う事に尽きます。評価が低くても自分の中で音楽を大切にしながら生きることは誰かに言われて出来ることではなりません。私自身、門下生の中で自分が最も「出来の悪い弟子」と感じていながら師匠は私への指導で手を抜くこともなく、諦めることもありませんでした。当然「体罰」など必要とせずに。師匠への尊敬の気持ちと感謝の気持ちを感じ続けたことが今現在も音楽に関わって生きている事の証明だと思います。
 確かにこの演奏をしていた当時にもっと上を目指した練習をする「気持ち」があれば今と違った技術を持っていたかも知れません。
これは良く言われることですが「生きてきた中で不必要な体験はない」と言う言葉があります。挫折や不合理な出来事に直面した時には無駄にしか感じない時間があります。私自身も記憶にあります。
しかしそれも今を生きている自分にとっては通るべくして通った道だったように感じます。中2の下手くそな演奏を聴いて今の自分も下手くそ(笑)に感じるのは当然のことです。何も変わっていない部分が人間の「コア」です。音楽にもそれが現れています。歌い方、感じ方の根っこの部分は恐らく一生変わらないものです。技術の変化はあって当然です。若い頃のエネルギーは「若さゆえ」です。年齢と共に持久力や瞬発力は下がります。その意味では技術が低下します。
 自分の50年後の演奏を想像する人はいませんし考えたところで無意味かもしれませんが、その時に出来る演奏を自分で受け入れることが何よりも重要だと思っています。
 13歳の野村謙介の演奏も「その時だから出来た演奏」だと認めてあげたいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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