知っている曲が知らない曲に 

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 演奏はデュオリサイタル15で演奏した「ふるさと」
ジャズピアニスト小曽根真さんと奥様で女優さんの菅野美鈴さんがアップされていた演奏があまりに素敵だったので。耳コピさせていただいたものです。
 ふるさと…NPO法人メリーオーケストラで演奏し続けている日本の情景と日本人の心情を表した素晴らしい曲ですね。

 上の映像はメリーオーケストラ「ふるさとロングバージョン」(笑)
下の映像は毎回演奏している「ふるさとアンコールバージョン」です。

 知っている音楽を聴いた時に「あれ?どこか違う」と感じることがあります。
いわゆる「カヴァー」が流行している現代ですがこれも「知っている曲が生まれ変わる」ことの一つです。
 クラシック音楽の世界でも、珍しい事ではありません。過去に作曲された音楽を「素材」にして新たなアレンジを施し「新しい音楽」にすることは当たり前に行われています。ブラームスの「ハイドンバリエーション」のようにタイトルに表されているものもあります。フリッツ・クライスラーのようにオーケストラのための音楽をヴァイオリンとピアノで演奏する「楽譜」を書き自分で演奏していた人もたくさんいます。ハイフェッツもその一人です。
 演奏家が作曲をする…曲をゼロから作るのではなく「手を加える」事で新しい音楽になります。「盗作だ!」(笑)意味が違います。お間違いなく。
 もとより、以前にも書いた通り作曲された「楽譜」は演奏者の自由な表現と解釈によって演奏されるのが「本質」です。楽譜の通りに演奏する…楽譜に書いていないことは「してはいけない」と言う楽譜は存在しません。現実的に考えてください。楽譜のすべての音に作曲家が「音色」「ヴィブラート」「音量のデシベル」を書き込めるでしょうか?不可能です。作曲した本人が「他の人に演奏されたくない!」と考える場合もあります。パガニーニは当初、自分で作曲し自分で演奏した曲の楽譜を人に見せなかったそうです。
 逸話として有名な「神童モーツァルト」が一度聞いただけの曲を自宅でチェンバロで演奏した…この能力は「聴音+暗譜」の技術で音楽の学校で多くの人が学ぶ技術です。前述の「小曽根真さんの演奏耳コピ」はまさに「聴音書き取り」の技術です。話がそれましたが「楽譜は自由な演奏の素材」です。
 演奏する人の「こだわり」が個性になります。こだわりのない演奏は「個性のない音楽」だと感じます。音色であれ、テンポの微妙な揺れであれ、演奏する人の「考え」があって初めて音楽になるものです。
 自分の知っている曲でも演奏したとき、それは「新しい音楽」になることを意識するべきです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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