大人になってヴァイオリン

ヴァイオリンは小さいときから始めないと弾けるようにならない。
この悪魔の囁きのような嘘、未だに信じている人がいるかも(笑)と思い、改めて真実を書いていきます。

小さい子供、たとえば3歳児が楽器の演奏を習い始めたとして考えます。
まず第一に、言葉による意思の疎通が難しいですね。特に、両親家族以外の人と3歳児のコミュニケーションは、全く違います。
親が我が子に楽器を教えることは、可能かもしれません。むしろ、他人から何かを習っていることを自覚できる年齢ではありません。
言葉を覚える時期ですから、見えるものの「名前」と同じ感覚で、聞こえてくる音の「名前」も覚えられます。これを反復することで、絶対音感が身に付きます。音の高さを感じる脳の働きは、成人しても変わりませんが、特定の高さの音に「ド」とから「ファ」という名前があることを記憶できるのは、言葉を覚える時期だと言われています。
この絶対音感がなければ楽器は演奏できない?
うそ!まっかなうそです。

絶対音感がある人とない人の違いは?
いわゆる「相対音感」は成人してからでも、いつからでも身に着けられます。
聞こえる音と「同じ(実際にはオクターブ違っても)高さの音」と、その音より「高い音」か「低い音」かを聞き分けることが、相対音感です。
二つの音を聞き比べて、どちらが高いか?低いか?を聞き分ける練習を繰り返せば、誰にでもこの能力は身に付きます。
自分の「声」で、聞こえている音と同じ高さの音を出せるかどうか?
これは、先ほどの「聞き分け」に加えて、自分の声の高さを自分の意識で、高くしたり低くしたりする「無意識の技術」が必要です。
自分がどうやって高い声をだしたり、低くしたりしているかを考えたことがありますか?おそらく、意識したことのない人のほうが圧倒的に多いはずです。
それでも「なんとなく」聞こえた音、あるいは「出したい高さの音」を声出せるようになっていきます。こうして、人間は「音痴」から始まって、無意識に自分の声の高さをコントロールできるように「学習」しています。

では、音痴でない人は絶対音感があるか?と言えば、違います。
絶対音感があっても、声をコントロールできなければ「音痴」です。
相対音感を使って歌を歌えるのですから、楽器の演奏ができないはずがありません。
絶対音感があれば、自分の出している音の高さが「ドレミ」に聞こえる。
相対音感の人は、「ド」とか「ミ」とかの音の高さと名前を教えてもらって、そこから次の音、たとえば「ドの次のレ」を歌っていけます。この幅と種類をたくさん増やすことが練習でできます。これで自分の出している音を「判断」できます。

ヴァイオリン演奏に絶対音感が不要であることはご理解いただけたと思います。
では、大人になると子供のころと何が?大きく変わるでしょうか?
人によって大きな違いがりますが、自分で自由に使える時間が減る人も多いですよね。とは言え、小学生ともなると大人より忙しい子供も多いのが実情です。
つまり、単純な「自由な時間」だけで考えると、子供と大人の間には、昔ほど差がないことが言えます。
子供は体と頭が柔らかい。大人は体も固くなって、物覚えも悪い。
これまた、人によって大きな違いがあります。子供でも柔軟性の少ない子、筋力の弱い子、物覚えが苦手な子がたくさんいますよね?

違うとすれば、次の点です。
・子供は考えるより、運動と「勘」で覚えます。
・大人は運動する前に、考えます。
人による差はありますが、多くの大人は自分の経験や知識をもとにして「考え」ながら行動します。
・どうすればできるか?を考えるのが大人です。
・できるまで繰り返す!が子供です。途中で飽きることも多いですが(笑)
できないと、考え込むのが大人です。えてして考えすぎて、ドツボにハマります。
次に違うのは…
・子供は少し前の事でも忘れる。
・大人は子供より長い期間、覚えている。
これは、楽器の演奏において、子供のほうが「積み重ねにくい」ことが言えます。一方で大人は、失敗した記憶も引きずりながら楽器を演奏することになりますが、積み重ねることは得意です。
この違いは、いつもと違う環境で楽器を弾いた時に大きな違いになります。
・子供は緊張しても「失敗した(する)こと」を意識しない。
・大人は緊張すると「うまく弾こう」「失敗しないようにしよう」と無意識に考える。
この違いが実はものすごく大きく表れるのが、レッスンだったり発表会だったりします。
大人は普段練習している時に「気持ちよく」弾けていても、レッスンや人前に出ると「うまくいかない」と感じます。こどもは?いつも同じです(笑)
しかも、大人の場合は「いつも」というのが基本的に「一人で演奏」しているので、自分の出している音を客観的に聞くことが出来ていないケースが多いように思います。子供の場合、多くは家族が「クチを挟み」ます。本人が気持ちよく適当に弾いていると、家族が「音が違うんじゃない?」とか「もっときれいに弾いて」とアドヴァイスします。
大人は?自分の演奏を冷静に聞くことが難しいのです。
ある人は「あぁ!へたくそ!」と落ち込み、またある人は「おぉ!わたしってじょうず!」と舞い上がります。あなたはどちら?(笑)
どちらにしても、自分の演奏を客観的に聞くトレーニングが必要です。

大人になって楽器を始める。
最高の趣味だと思います。
うまくならないストレスは「必ず」付いてくるものです。
うまくなっている実感が感じられず、やめてしまえばその時点で終わりです。
実はうまくなっているのか?を判断するのも技術です。
その技術はレッスンで先生に習うこと、あるいは誰かに聞いてもらうことによってしか体得できません。
うまく弾けるようになるために。自分の思ったように弾けるようになるために、自分の時間を好きなように使うのが趣味の音楽、趣味の楽器演奏です。
うまくなる「途中」を楽しむ気持ちで、少しずつでも積み重ねてください。
子供にはできない練習で、子供とは違う「喜び」を味わえるのが大人の特権だと私は思っています。

メリーミュージック 野村謙介


速さ・時間・距離

今回は算数のお話?
いえいえ。これは弦楽器奏者にとっては必須科目です。
ちなみに、音楽の速さや演奏時間の話とは、ちょっと違います。
違うのですが!
アマチュアのヴァイオリニストにありがちな落とし穴があります。
「音楽のテンポが速かったり、細かい音符になると、弓の速度まで速くなる」
という勘違。思い当たりませんか?
音楽のテンポをメトロノーム記号で表すことがありますよね?
四分音符=120=一分間に四分音符を120回均等な間隔で叩く速さ
一つの音符の演奏時間が「短く」なると音楽全体が「速く」なります。
ただし、ゆっくりした音楽の中でも、部分的に細かい音符が使われることも多いので、必ずしもすべての音符が短い、長い、で音楽全体の速さは表されません
つまり、一つ一つの音符の演奏時間の長さは、音楽の速さとは別の問題なのです。

さて、弦楽器を演奏する時に使う「弓」をダウン・アップと動かす運動があります。この運動の速さと、弓の量(長さ)と、音の長さについてが今回のテーマです。
小学校で習った「速度×時間=距離」という公式(ってほどのものでもない?)
時速5キロメートルの速度で1時間歩けば、5キロメートル移動する。←あってますよね?(笑)
これを、楽器の世界に置き換えると…
・弓を動かす運動の速さ
・音が出る時間
・弓の長さ(使う長さ)
になります。ここまで、大丈夫ですか?
実際にわかりやすいのは、「音を出す時間」「弓の長さ」の二つです。
弓を動かす速さを測ることを忘れがちです。速度計があるわけでもなく、動きの速さを表す単位が「秒速〇〇センチメートル」と考えて演奏する人もいないでしょうね。ましてや時速〇〇キロメートルなんてありえない。
でも、実際に演奏している時には弓を動かす速さ(ダウンとアップ)は考えることはとても重要なことです。

具体的にひとつの例をあげます。
メトロノームを「60」で鳴らします。1秒ごとに1回の音がします。
弓の毛の「すべて=全弓(ぜんきゅう)」をつかって、切れ目なく(音と音の間に無音の時間をいれないで)音を出したとします。
以前にも書きましたが、この全弓は人によって違って構いません。
鵜Dの長さによって、弓の一番先の部分まで届かなければ、腕を伸ばしきった場所と、弓の元の金属部分ギリギリまでの間を「全弓」と考えてください。
この長さの弓の毛を使って、1秒間音を出し続ける時、金一の速度で弓を動かすことが出来ているでしょうか?
動き始めが「遅すぎ」ると、全弓使えずに途中で反対方向に動かすか?
または「まずい!余る!」と思ってから速度を速くして無理やりつじつまをあわせていませんか?
「均一の速度で、1秒間に、全弓を使う」
これ、簡単そうでとっても難しい技術です。
2秒間だと簡単?はい。1秒間で弓の真ん中を通過する速度ですね。
簡単に感じるのは「ごまかせる」からなのです。
1秒間で全弓を使おうとするとかなり速い速度で腕を動かすことになります。
最少は2秒間()メトロノーム2回分)で反対方向に弓を「返す」練習から始めるのも良いでしょうね。
この弓の「速度」を感覚的につかむことが、とても重要です。
1秒に1回の速さで、弓を返す時の「弓の量=弓の長さ」が、弓の速度です。


・弓の速度を変えずに、弓の量を変えれば、音の長さが変わります。
・弓の速度を変えずに、音の長さを変えれば、弓の量が変わります。
↑これっは同じことを言い換えただけです。ですが、弓の速度を考えるのが難しいので、
・音の長さを変えずに、弓の量を変えると、弓の速度が変わる。
・弓の量を変えずに、音の長さを変えると、弓の速度が変わる。
↑これは、どちらも「弓の速度を変える」ことで「音の長さ」と「弓の量」のどちらkを「変えない」方法です。
ごちゃごちゃになった?(笑)
そうなのです。
音の長さと弓の量
この二つのことを考えると、必然的に弓の速度を考えなければ「できない」ことなのです。
先生に「もっと弓を使って弾きなさい」と指摘されたとします。
方法は二つあります。
1.音を長くして=テンポをおそくして、弓をたくさん使う方法「弓の速度は変えない方法」
2.弓の速度を速くして、音の長さは変えず=テンポは変えない方法「弓の速度を変える方法」
多くの場合、2の方法を用います。
弓の速さは、えてして無意識になりがちです。
弓の圧力と、弓の速度、弓の場所で音色が大きく変わります。
弓の速さを一度、良く観察してみることを、生徒さんにお勧めしたいと思います。

ヴァイオリニスト 野村謙介

演奏中に動くもの・止まるもの

今回のお話も演奏に関わるテーマです。
楽器を演奏する人間と楽器の関係で言えば、
・固定された楽器(鍵盤楽器や打楽器の一部)
・演奏者が保持する楽器
・チェロやコントラバスのように、一部が床に置かれ一部を演奏者が保持する楽器
に分類されます。
楽器が動かない場合、演奏者が動くことになります。チェロ・コントラバスもある意味で固定されています。
それ以外の楽器、たとえばヴァイオリンの場合は演奏者が左上半身を使い楽器を保持し、右手で弓を持ち動かします。
ヴァイオリン・ヴィオラの構え方は、人それぞれに違います。つまり、楽器の「保持方法」が違います。どの程度、体と一体化させるのか?どのくらい身体の動きと分離させるのか?が大きな違いになります。
演奏者が動けば、ヴァイオリン・弓も当然動きます。
動くと言っても、どこが動くのかによります。
上半身全体が動けば、右腕・左腕・首も動くので楽器と弓も移動します。
首から上だけ動いても、楽器と弓は動きません。
左手を動かしても右手は動きません。逆も言えます。
これは「相対」として楽器と演奏者が同じ動きをするか?しないかによっても変わります。楽器を持ち弓を持つ上半身、すべてが前後左右に動いたとしても、演奏者と楽器の「相対的な位置関係」は変わらないのです。ピアノの場合は違います。人間が動けば位置関係は変わります。

ヴァイオリン・ヴィオラを肩当てを使って演奏する人と、使用しないで演奏する人がいます。私自身は使わないとうまく楽器を安定させられません。
少なくとも、左の鎖骨(さこつ)には楽器が「乗る」はずです。
これが1点目です。
仮に左顎(あご)で顎あて部分を「押さえる」と、鎖骨に加え2点目になります。完全にこの力だけで楽器を保持すれば、楽器は弾ける?いえ、弾けません。
なぜなら、弦を「押さえる」指の下方向への力も加わるからです。弦を抑える指の力も、鎖骨と顎だけで支えようとするか?しないか?でこの顎で楽器を抑える力が大きく変わります。ちなみに鎖骨は「動きません」当たり前ですが。
肩当を使用すると、鎖骨より腕側の「腕の付け根の筋肉」に楽器を「乗せる」ことができます。つまり鎖骨に乗せるのと同じ方向の力「乗せる」だけの力です。
ヴァイオリンを演奏する時に加わる力の方向は、
1弦を押さえる下方向への力
2弓を弦に押し付ける下方向への力
3楽器本体の下方向への「重さ」
この力を支える上方向への力は、どこで生まれるのか?
1鎖骨に乗せる
2肩当てを使って体に乗せる
3左手で持つ(親指に乗せたり、親指と人差し指の付け根の骨ではさんだり、人指す指の付け根の骨に乗せたり)
顎の骨で「はさむ」力は後半の力を補助する力であって、前半の下方向への力ではありません。勘違いしやすい!

演奏中に楽器が「勝手に揺れる」と弓を安定して弦に乗せ音を出せません。
特にビブラートやポジションの移動をする際に、揺れがちです。
さらに、右腕の運動、移弦の運動、ダウンアップの運動でも楽器が動いてしまう場合もあります。
自分の意識とは無関係に楽器が揺れ動くのは、良いことではないのは誰にでもわかります。
それを「止めよう」として左半身に力を入れると、逆効果です。
楽器は演奏者の身体に「乗っている」のですから、楽器に触れているどこかが動けば、楽器は「揺れる」ものです。その揺れを吸収する「クッション」の役割も演奏者の身体を使わなければ不可能です。
指・手首・肩・首のすべてが連動しています。
独立させて運動させるためには「脱力」するしか方法はありません。
筋肉に力を入れれば入れるほど、多くの筋肉が一緒に連動して動くから、楽器が揺れるのです。

どんな構え方だろうと、共通するのは無駄な力を入れずに、各部位が自由に揺れを吸収できる「柔らかさ」を意識することだと思います。
無駄な力を抜く練習。

力を入れずに
がんばりましょう!

ヴァイオリニスト 野村謙介



弓を動かす難しさ

今回は、ヴァイオリニストが一生考え続ける(私だけ?)命題、音を出す弓を動かすことを考えます。
人間の身体には、たくさんの関節があります。自分の右手の指先から、腕の付け根までにある、関節をじっくり観察してみます。(おやじギャグではないつもり)
親指の関節が、ほかの4本の指よりも、1つ少ないことを今更驚く人、いませんか?(笑)
その親指も含めて、指先に近い関節を第1関節と呼びますが、親指だけは、その第1関節だけを曲げ伸ばしできます。そのほかの指の第1関節だけを、曲げ伸ばしできる人も見かけますが、むしろ第1関節だけは、曲げられないのが普通ですよね。指先から第1関節までの間に「骨」がありますね?当たり前ですが。
第1関節と第2関節の間にも骨があります。てのひらと指の関節があり、てのひらにも骨があります。

さて、これらの関節と骨には筋肉である「腱」があって、それぞれの指、関節を曲げ伸ばししています。
人間の生活で、主に使う手の筋肉は、内側に向かって「握る」ための筋肉です。
反対に「開く」方向の筋肉を使うことは、ほとんどありません。
指を観察すると、手の甲側(爪のある側)にはほとんど肉がありません。
一方でてのひら側には、かなり太い筋肉があります。物を掴む運動が強いのは、私たちのご先祖が猿だった証ですね。
握る力を「握力」と言います。子供のころ、学校で握力を図ったことがありませんか?ちなみに、力士の「輪島」関は握力が100キログラム以上だったとか。
でも、開く力の測定は、したことがありません。楽器を演奏する人にとって、必要なのは、握力より「早く、しなやかに、強く指を動かす」ための力です。つまり、じわーっと握る力よりも、瞬発的に「握る」「開く」という運動をでる筋力と神経伝達が必要になります。

弓に直接触れる右手の指。
親指と人差し指が「弦に圧力をかける」仕事をします。
親指と小指が「弓を持ち上げる=弓の重さより軽い圧力を弦にかける」役割です。
中指と薬指の仕事は、力というよりも、弓を安定させるための補助的な仕事をします。
「てこの原理」小学校で習いました?最近は教えていないそうですが(笑)
「支点」「力点」「作用点」なつかしいでしょ?
弓の毛と弦が触れている場所を「作用点」
親指を「支点」
人差し指を「力点」小指も逆方向の「力点」
人差し指の第2関節の「骨」で、弓の棒(スティック)を弦に向かって押し付ける力を加えます。
そして、親指は、人差し指と真逆方向の「押し上げる」方向に力を加える=支えることで、弓の毛が弦に強く押し付けられます。
この、てこの原理が理解できていないと、親指の力の方向を間違えてしまいます。
親指と中指で、弓をつまみ上げる力は演奏には不必要です。親指と中指でスティックをはさんで持つのは間違いです。

さて、指の次の関節は手首です。
手首の関節は、てのひら⇔手の甲の方向には、大きく曲げられますが、
親指側⇔小指側への方向には、小さな運動しかできませんが、この左右の運動も演奏には重要になります。
手首を意識的にゆっくり動かす時、使っている筋肉は肘から手首までの筋肉(腱)です。この筋肉の伸び縮みもストレッチ運動で大きく柔らかく動くようになります。
手首をブラブラと運動をするときには、前腕(肘から手首)を動かし、手首の関節を緩めることで、腕の動きとは逆方向に揺れます。「慣性の法則」です。
このぶらぶらと動く動きは、特殊な演奏方法をしない限り、演奏には有害な運動になります。特に、弓を速く動かすときに、慣性も大きくなりますから、手首と弓の動きをコントロールするために、「弾力」が必要になります。車で言うなら「サスペンション」と「ショックアブソーバー」(わかりにくい?)
要は適度な「粘り」が必要です。


腕を斜め前方に伸ばし(ダウン)弓先を使うときには、手首が「親指方向」と「手の甲方向」に曲がります。
この時に、親指と弓の「角度」を安直に変えないことを私の師匠は厳しく指導されました。それは、右手の小指を曲げたままで、弓先まで腕を伸ばすことになります。弓とてのひら・手の甲の位置関係(角度)を極力変えないで演奏する練習を続けました。当然、手首を左右に大きく曲げないとできません。
現代のヴァイオリニストでこの演奏法をしている人は、ごく少なくなりました。
弓先から弓中まで、さらに弓元までを速く動かした場合、指の「持ち替え」をしなくても演奏できるという、最大のメリットがあります。
現代の多くのヴァイオリニストは、弓先で親指と弓の角度を変え、さらに右手の小指を完全に伸ばしきった形で演奏しています。弓先で圧力を軽くするコントロールできる量が少ないはずです。親指と人差し指のてこの原理を「ゼロ」にしても「マイナス」にはできません。小指と親指で弓先を持ち上げる力で、より小さく薄く軽い音色を出せるはずです。

弓の中央は、右肘が直角に曲がった時の場所を言う。
と私は考えています。物理的な「弓の中央」だとしても、弓の毛の中央なのか、弓の長さの中央なのかで、場所が変わります。重さの中央である「中心」は弓元に近い場所ですから、さらに違います。腕の長さは人によって違いますから、弓元からダウンで直角になるまで動かした場所が「中央」で、そこから腕を伸ばしきった場所が「弓先」だと考えています。それ以上先を使おうとすれば、必ず無理があります。
弓中で、敵美と指が最も「自然」な形になります。ですが、この位置では、まだ親指と人差し指のてこを使わないと、弦に圧力をかけられません。
弓元。顔の前に、右手が来る場所です。この場所で演奏することが一番難しいのは案外気づいていないかも?

弓元で弓を持つ指の「真下」に弦があります。ここだけは、弓の「スティック側」にある4本の指(人差し指・中指・薬指・小指)すべてで、弦に圧力をかけることになります。むしろ、親指と人差し指のてこの原理はさようしませんから、親指は初めて「休める」位置でもあります。
手首が天井方向(てのひら側)に曲がる演奏方法「も」あります。
というのは、私はあまり弓元で手首を曲げたくない人なのです。
「だって右手の距離が近いから曲げないと」と思われがちですが、右ひじの位置を変えれば手首は曲げずに演奏できます。
弓元で右ひじが高く、やや体の側面に下がる演奏方法です。
手首以前に、体と肘の位置をやや後方に下げることで、弓と弦を直角に保ちながら、手首と指の形を変えずに演奏できます。
上腕(肩から肘までの腕)を積極的に動かす演奏方法です。当然、背中の筋肉も使います。腕全体の運動で弓元部分の演奏をすることで、指と手首の「可動範囲」を増やし自由度を増やすことができます。

連続した運動ですから、むしろ「アナログ」的なイメージのほうがわかりやすいと思います。写真と動画の違いです。すべては「動いて」音がでることです。
ただ、4本の弦・弓の位置によって、指・手首・肘の位置が変わることは事実です。練習時に、ある位置で「静止」してゆっくりと自分の身体を観察することで、間違いを修正できます。静止したときと動かしたときで違うのは、「慣性」があるか?ないか?の違いです。弓の位置に関係なく、動けば慣性が発生します。

・止まった状態からダウン
・止まった状態からアップ
・ダウンから止まる
・ダウンからアップに続く
・アップから止まる
・アップからダウンに続く
この6種類しかないのです。腕の重さと弓の重さを感じながら、慣性をコントロールする柔らかさと強さと俊敏さ。
右手が「一生もの」と言われる所以が、この複雑さにあります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト 野村謙介


ビブラートの不思議

初心者のヴァイオリンの生徒さんにとって、ビブラートは憧れの技術です。
ほとんどのヴァイオリニストがビブラートを「かけて」演奏しています。
かける?良く考えるとちょっと変な表現です。
「音程を細かく上下させて、震えるように音を響かせる奏法・唱法。」
という事になるようですが、そもそも「音程」は正、確には「インターバル」つまり、二つの音の間の幅(距離)を表す言葉。厳密には「ピッチ」であり日本語なら「音高」の事です。レッスンで「音程が悪い!」と怒られていた私にとっては、聞きなじみのある「音程」ですが(笑)
要するに、ビブラートのない「ノンビブラート」は、音の高さを変えずに同じ高さの音を伸ばすことで、ビブラートは音の高さを連続的に変える…という事になります。が!
その高さの変化が、「曲線」で「連続」して変化しないとビブラートには聞こえません。
さらに、その変化の「大きさ=深さ」と「速さ=細かさ」の組み合わせがあります。
・浅く、速い
・浅く、遅い
・深く、速い
・深く、遅い
この4種類の組み合わせがあります。
一つの音の中で、これらが変化することも十分にあります。
たとえば、ノンビブラートで始まり、浅く遅いビブラートから、深く速いビブラートに変化させることもできます。

好みの問題ですが、私はヒステリックに聞こえるビブラートが嫌いです。
具体的に言うと、常に速く深いビブラートの音は、聞いていて疲れてしまいます。
速く同じ深さでビブラートを「かけ続ける」ことは、確かに難しいことです。
できることは、すごい!とも思いますが、果たして美しいと感じるものでしょうか?
そもそもノンビブラートの音、これが原点だと思うのです。
ノンビブラートで音色のバリエーションがあってこそ、ビブラートの美しさが引き立つと思います。
ヴァイオリンのビブラートは、最終的には指の関節が柔軟で、かつ弾力的に動かせないと美しいビブラートにはならないように思います。
弦に触れているのは指先の皮膚とその下にある薄い肉と、さらにその奥にある「骨」です。
その指先に係る力は、弦を指板に押し付ける方向の力と、ビブラートで、弦とほぼ平行方向の力です。この二方向の力のバランスで音色とビブラートの滑らかさが変わります。
ビブラートのための力は、指だけを動かす力では生まれません。手のひらと指の「付け根」の柔らかさと弾力を保ちながら、手のひらを動かすことで、弦を抑える指先の角度が変わります。
手のひらを弦と平行に動かせたとしても、指は弦に対して斜めの角度ですから、結果的に指が「伸びたり縮んだり」する運動になります。
一方で、手のひらを「手首の位置を動かさず」に、倒す→起こす→倒す→起こすの運動を繰り返すと、指も弦に対して、倒れる→起きる→倒れる→起きるの運動になり、これもビブラートになります。
一般的に「腕のビブラート」「手首のビブラート」と区別されますが、
手首のビブラートを勘違いし、手首を動かす初心者を見かけます。手首を「支点」にしないと意味がありません。

色々書きましたが、ビブラートをかけることで、共振する音が増え、楽器の残響が長く、大きくなりますが、それが必ずしも常時必要なものではないと思います。人間が聞いていて、心地よく感じるビブラートは人によって違います。
ノンビブラートの音を「素材の味」
ビブラートの加わった音を「味付けした素材」
と置き換えると、素材が悪ければどんなに味をつけても、美味しくないのと同じです。
右手のボウイングと正しい弦の抑え方があってこそ、ビブラートの効果(味付け)が生きてくると思っています。

メリーミュージック 野村謙介


脳内イメージと楽器演奏

今回のお話は、アマチュアヴァイオリニストの方にとって、少しは役に立つかな?というテーマです。
ヴァイオリンは、右手で弓を使って音を出し、左手で音の高さを変えていきます。ピアノは、両手の指で鍵盤を押し下げて音を出し、音の高さも同じ指で決めています。
ヴァイオリンの演奏をするときに、右手の運動と左手の運動は、それぞれ左脳と右脳からの命令で動いていますから、ダウン・アップの運動は左脳、音の高さは右脳で考えていることになります。
そして、音楽を演奏する時には「音の強さ=長さ」と「音の高さ」の要素が楽譜に書かれています。もう一つの要素である「音色」は楽譜には書かれていません。問題はここからです。

楽譜を音にしようとするときに、ピアノであれば両方の手が音の高さと強さをコントロールするので、ある意味で右脳と左脳が「似た命令」を出していると考えられます。
弦楽器の場合、音の高さは左手の運動として考えます。音を出す運動である右手は、音の高さである「弦の種類」と、ダウン・アップの運動で「音の強さ=長さ」を考えています。
そのまったく違う運動が、ばらばらになってしまうことがアマチュアの方に多く見られる現象です。右手と左手がずれるので「合っていない」と思いがちですが、むしろ当たり前のことです。なぜなら、私たちは一つの運動に集中すると、ほかの運動は「無意識」になるからです。
自動車の運転は、右手、左手、右足、マニュアル車なら左足が」すべて違う仕事をしています。それを同時に、しかも瞬時にできるのは、一つの運動だけを考えていないからなのです。むしろ、運動ではなく視覚でとらえた情報と、体にかかる力「重力=G」を感じて、無意識に両手両足を動かしています。つまり「イメージ」を無意識に「運動」に変えているのです。

では、どうすれば?無意識に弓と左手を動かせるようになるのか?
私の結論は「音のイメージと動きのイメージを同化させる」練習だと思います。
たとえば、3・3・7拍子を創造してみてください。
ちゃ・ちゃ・ちゃ
ちゃ・ちゃ・ちゃ
ちゃ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・
頭でこの音を想像してください。次はその音のイメージに
右手の運動を加えてイメージします。と言うより「一つのイメージ」として
ちゃ・ちゃ・ちゃという音を右手が右・左・右に動くことで出るイメージです。
運動は小さくて構いません。指先だけでも構いません。
3・3・7拍子の「音」と運動を同時にイメージできるようにします。
運動だけを、逆方向に動かすイメージもやってみます。
最初はどちらか(音か、運動か)一方に考えが偏るかもしれません。
その場合、考えていないほうは「無意識」に動いたり、リズムを間違ったりするはずです。

音と運動の両方をひとつのイメージにすることは、左手の運動でも同じことです。
音が変わる時に、左手の運動が加わります。その運動も「一つのイメージ」の中に加えます。先ほどの、3・3・7拍子に「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ」という音の高さを加えて、一つずつの音に、右手の「右・左・右・左」を繰り返して割り当ててイメージします。
実際に言いながら、楽器も弓も持たずに、この「課題」が出来た時、恐らく何も考えていないことに気づくはずです。左手に集中したら、右手が止まるでしょう?右手に集中したら、次の音の名前が出てこないでしょう?
頭の中の「脳」がイメージを運動にできることで、運動よりも音のイメージを優先して演奏できると私は考えています。
イメージ>運動
ということです。この練習は、プロの演奏家が恐らく無意識にやっています。
自分の演奏したい「音」を、運動からイメージに変えられるまで、繰り返しているはずなのです。事実、初見の時にもこのイメージがあるから、左手と右手が同時に動かせるのです。初心者は、それができません。これは「隠れた技術」であり、トレーニングによって誰でも身に着けられると私は思っています。
ぜひ!3・3・7拍子で練習してみてください!

あ・・。電車の中では、やらないほうがいいですよ。
通報されます(笑)

イメージの悪いヴァイオリニスト 野村謙介

空想の世界~音楽

はい、嫌われ者(笑)謙介です。
ショパンコンクールが「ブーム」のように盛り上がっています。
昨日のファイナル、アーカイブをyoutubeで聞きながら書いています。
ヴァイオリン弾きから言うと、みんなすげぇじょうず!(笑)
人間だもの、間違って違う鍵盤触ることだってあるでしょ。
人間だもの、緊張して忘れることなんて普通でしょ。
コンクールが「間違えない」ことを第一に競うものであれば、人間の審査員はいりませんがね。カラオケ採点マシーン!で順位つきます。
もちろん、間違えなくても、もっと細かい「うまさ」ってピアノにある「らしい」。らしいと書いたのは、ヴァイオリンの演奏技術って、ピアノに比べると単純明快に分かるから。例えば、音の高さを自分で決める原始的な弦楽器。ピアノが1万点以上のパーツで音を出す仕組みなのに比べ、馬のしっぽの毛を張った「棒」BOWで音を出す弦楽器。ヴァイオリンのミスと比べて、ピアノの間違いってそんなに多いのかな?

さてさて本題です。
「ショパンの精神」とか「ポーランドの人の魂」とか。
そんな言葉を聞くと、ものすごく違和感を感じるのです。
だれかショパンに聞いたんですか?
ポーランドの人って、全員クローンですか?
まるで自分が「ショパン」という人に成り代わったような思い上がり。
ポーランド人とは!って十把一絡げ。
少なくとも音楽って、演奏者と聞く人の「空想」の世界です。
一人一人の空想や表現は、だれか他人から批判されるものではない自由なものです。
絵画でも、文学でも、映画でも同じです。
「この作品は、〇〇であり、△△と感じなければ間違い」ありえへん。
見る人は「空想の世界」が楽しいから見るんですよね。
その空想を「競い合う」って無理でしょ。
それを「解釈」って言うのであれば、それは個人の自由です。
「モーツァルトが生きた時代には」「バッハの音楽を演奏するには」
それも個人の解釈。
評論家ってお気楽&無責任な職業だと思います。
たった一人の解釈を、延々と語ってお金もらう(笑)
言ってやりたい「お前は神か」

さらに言えば、「楽譜」として作曲家が残したものは、
演奏する人間に、「この解釈を任せたぜ!」って意思表示だと思うのです。
「俺の作品に手を出すな!」って初期のパガニーニみたいな人は、楽譜を残しません。ショパンが楽譜を残した以上、演奏する人の「空想」と聞く人の「空想」を許容したことになります。楽譜に書いていないことってたくさんあります。
さらに言えば、書いたからと言って(例えばここはフォルテで)も、演奏者がピアニッシモで弾くかもしれないことは、承知の上だと思うんです。楽譜の通りに弾くこと「だけ」をコンクールだとは言えません。楽譜に書いていないことのほうが、はるかに多いからです。すべての音符に強弱記号と表現の指示をした楽譜って…ショパンの楽譜?違いますよね。演奏者の「空想」がそう、させているんですよね。

偉そうに言いやがって!
はい、ごめんんなさい(妙に素直)
最初に書いた通り、みんなすごい演奏家だと思っています。
その人の「空想の世界」に共感できるものもあれば、自分の「解釈」と違う演奏もあって当たり前。技術は?すごい!の一言です。順位なんてつけたくない!みんな、人間なのに大変だな(笑)なかには、サイボーグもいるのかも…
私は…リサイタルで弾く曲たちを、何度も弾いて、感じるものを、実験を繰り返しながら練っていく。音色。テンポ。大きさ。どれかを変えると、ちがう世界になります。自分の「好きな世界」を探して、さまよいます。聞いてくださる人が、心地良く感じてくれることや、「空想の世界」が広がってもらえることも、同時に願っています。自分の解釈と違って当たり前です。
人間の想像力。それこそが「魂」であり「心」と呼ばれるものだと思います。
決して、測れるものではありません。競うものでも、評価するものでもありません。私たちが「人間」であることの証は「空想を表現できる生き物」なのですから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


ヴァイオリニスト 野村謙介


今年のリサイタルは…

デュオリサイタル14
妻であるピアニストとのコンサートは、今回で14年目になります。
過去13回、自分たちの好きな曲を選んで、誰からも束縛されずにプログラムを決めてきました。映画音楽もあれば、バッハやモーツァルトの作品、日本の歌、歌曲など、クラシックにこだわらない選曲を今でも続けています。
「〇〇のヴァイオリンソナタを弾いてください」とリクエストを頂くこともありました。クラシックファンの方なら、ごもっとも!なリクエスト。
ソナタ全楽章を演奏する「良さ」「重要性」は当然、理解しています。
ただ、私たち自身がそうであるように、人それぞれに好きな音楽が違います。
一人でも多くの方に、生の演奏を聴いていただきたいという願いもあります。
「お子様ランチ」「定食」には、いくつもの食材、味、食感の違う「もう少し食べたいと思う量のお料理」が少しずつ食べられます。そんなコンサートが少ない気がしました。

高級「割烹」「料亭」「レストラン」より、気さくに入ることが出来る「食堂」が好きです。他人の評価より、自分の「舌」を信じたい気持ちです。
いろいろな音楽で、ヴァイオリンとヴィオラの音色の違い、スタインウェイとベーゼンドルファーの違い、コンサートホールとサロンの違いを楽しめる、「気さくなコンサート」でありたいと思っています。

今回、初めて演奏する「ラベンダーの咲く庭」「カフェ」「ナイトクラブ」「ノクターン(アザラシヴィリ)」「いのちの歌」
以前にも弾いた「アヴェマリア(ピアソラ)」「踊る人形」「ミッドナイトベル」「アダージョ・レリジオーソ(ボーム)」「ふるさと」「クロリスに」
すべてが、私たちの愛すべき音楽です。クラシックもあります。ポピュラーも映画音楽もあります。「おいしかった!」と笑顔になっていただけるように、一生懸命に料理いたします。お楽しみになさってください。

ヴァイオリニスト 野村謙介
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暗譜が不安な生徒さん

楽譜を見ないで演奏することを「暗譜」と言います。
楽譜に書かれているのは何?
拍子・調性記号・シャープなどの臨時記号・音符・休符・強弱記号・繰り返し記号・速度の記号・表現の指示・スラーやスタッカート・弓のダウンアップ・指番号などなど。
それらを、初めは一つずつ確認しながら弾く練習からスタートします。
この時点で、全盲の方は「点字楽譜」を使用されます。
クラシックと呼ばれる以外の音楽では楽譜を使わないで演奏するスタイルも実際に多くあります。楽譜を見ないでも、すべてを誰かに教わったり真似をして演奏できるようになることも事実です。

楽譜を読むことが苦手な人は世の中にたくさんいます。むしろ、読めない人の方が普通だと思います。なぜなら、日本では義務教育で楽譜を音にするための技術は教えていないのですから当然です。学校以外の場所で、ピアノやヴァイオリンを習うことで初めて楽譜を音にする人の方が多いのです。楽譜を音にするための知識、技術は、言葉を読む・書くのとほぼ同じです。世界の言語の中でも最も難しい日本語を読み書きできる人が、楽譜を音にすることは、実際にはとても簡単たことです。
むしろ、楽譜を用いないで、覚えて演奏する方が何倍も大変です。曲が長くなれば、その作業は楽譜を読んで演奏するよりも遥かに膨大な時間を要します。

2週間後の発表会を前にして「暗譜で弾くことが不安で出られない」生徒さんが今日もレッスンに来ました。私の答えは「もちろん、楽譜を見ていいよ」でした。生徒さんが子供であれ大人であれ、この不安は同じです。
もっと言えばプロでも同じです。
「自動的に手が動くけれど、それがあっているのか不安になる」と小学6年生の女の子が言いました。的を射た表現です。人間は「記憶する」ことを無意識にする場合と、意識的に記憶することの区別ができます。
ただ、後者の場合は半ば「無理やり」記憶するのですから、思い出せるか不安になるのも当然です。
テストの勉強で、英語の単語や歴史の年号を「丸暗記」したことはおそらく多くの人に「あるある」な話です。テストなら正解か不正解で、点数が決まりますが、結婚式のスピーチで原稿を読みながら話すか、記憶して話すか…。あなたなら、どうしますか?

思い出せなくなる不安。見ながら話したり弾いたりすれば安心。
原稿や楽譜を「使えない現場」もあります。
演劇の舞台、映画の中で役者さんがみんな台本を手にして読みながら芝居をしていたら?なんだか気分悪いですよね(笑)
楽譜を覚えるのではなく、音楽を覚える。
かっこよく聞こえます(爆)
最終的に音楽を覚えるまで、考えながら反復する。
反復する時間の中で、記憶だけで演奏できるようになるまで反復する。
思い出せない場所は、その前後を含めて音楽を記憶していないから思い出せない。思い出せない「箇所」を練習しても、音楽は記憶できません。
それでは運動を記憶するだけです。演奏は、「音楽を演奏する」のであって、「音を出す」単なる運動ではないからです。

暗譜で弾く不安はゼロにはできません。
でも、楽譜を見ること・読むことに集中すれば、音を聞くことへの集中力は絶対に減ります。集中するものが音なのか、楽譜なのか。
音に集中して自分の記憶した音楽を自然に動く運動にすることがアマチュアには必要だと思います。
プロは楽譜を見ながら音に集中する技術を身に着けています。
アマチュアとの一番の違いはそれです。楽譜がなければ弾けないというアマチュアの場合、楽譜があっても満足できる演奏には至らない。と言うのは私の持論です。
楽譜に書いていないことを演奏するのが「生身の演奏家」です。
楽譜を見ながら演奏できない視力の私は、これからも「暗譜するまで」頑張ります。アマチュアの皆さんも頑張ってください。

メリーミュージック 野村謙介

デュオリサイタルに向けて

今回で14回目の「野村謙介・野村浩子デュオリサイタル」
演奏する曲を二人で考えることから始まります。
まずは「好きな曲」であること。もちろん、二人とも知っている曲とは限りません。それぞれの曲を自分が演奏したら?どうなる?と想像もします。原曲(オリジナル)の演奏がある場合、色々なアーティストの演奏をたくさん聞きます。中には、あまり好みでないものも含めて、本当に多くの演奏を簡単に聞くことができる便利な時代ですね。

今回、初めて私たちの「レパートリー」に加わることになったのは、
ラベンダーの咲く庭で
いのちの歌
ノクターン
人前に初めて演奏する曲も。
カフェ
作曲家のお名前は敢えて書きません。あしからず。
他にも候補がありましたが、好きな順に選んだ結果です。
この他に、以前演奏したことのある音楽も、練り直して。
踊る人形
ミッドナイトベル

ナイトクラブ
アダージョレリジオーソ
アヴェマリア
クロリスに
ちなみに、アヴェマリアというタイトルの曲は、
シューベルト、バッハ・グノーの作曲した曲「では」ありません(笑)

私(謙介)は、いつからか(本当は高校生の頃から)ビオラの演奏が好きで、今回も陳昌鉉氏の作成されたヴィオラも演奏します。
こちらの楽器の所有者は「浩子様」であることは、私たちのリサイタルにお越しになったことのある方には、周知のこと(笑)いや。変な理由じゃないですからね。←今更焦る。
ヴァイオリンは中学生の頃に、父親が借金をして私に買ってくれた楽器です。未だに私の「唯一無二」のヴァイオリンです。ちなみに、演奏会で使用しているヴァイオリンの弓は、恩師である故、久保田良作先生がご自身の演奏会で使用されたものです。これ、自慢(笑)

ヴァイオリンとヴィオラの音色の違いは、多くの方に喜んで頂いています。演奏方法は「似て非なるもの」なので、一回のコンサートの中で、持ち替えて演奏するのは、それなりに難しい面もありますが、自分自身がどちらの楽器の音色も楽しみたいので、まったく苦に感じたことはありません。ヴァイオリンは1808年に作られた「イタリアン・オールド」で、ヴィオラは2010年に作成された「トウキョウ・モダン」(笑)です。
演奏する会場も、もみじホールは「コンサートホール」で、代々木上原ムジカーザは「サロンホール」という2会場で、同じプログラムを演奏します。この響きの違いも両方の演奏会をお聞きになると、本当に楽しみ方が変わります。さらに、ピアノも!
もみじホールは「ベヒシュタイン」で代々木上原ムジカーザでは「ベーゼンドルファー」を使用します。この違いがまた!楽しいのです。
両方の会場でお聞きになれるチケットは、一般2500円です。幼児は無料です。もみじホールだけの入場は、一般1500円、高校生以下1000円。幼児無料です。ムジカーザのチケットは共通チケットとなります。

ご存知の方も多いですが、私が楽譜を見ながら演奏できない視力になったので、すべての曲を暗譜で演奏します。あ。昔は読めましたよ、楽譜(笑)一音ずつ、音色を考えて、演奏する弓の場所や、弦、左手の指などを決めていきます。それを、一音ずつ覚えます。かなり根気のいる作業ですが、生まれつき全盲の演奏家は世の中に大勢いらっしゃいます。
クラシック演奏家で全盲の方は、点字の楽譜で覚えていくのですが、私は今のところ、辛うじて物が見えているので、点字の勉強はまだしていません。もはや「意地」かも。パソコンモニターいっぱいまで拡大した楽譜(の一部数小節)を覚えては弾く。忘れてまた画面を見て、弾く。この繰り返し。一度楽譜を覚えて、先ほどの弓の場所や、弦や指を重ねて覚えます。歌詞のある曲(歌)を演奏する場合、歌詞も覚えますが、これが!むずかしい!歌詞が思い出せずに、演奏が止まってしまうことも。歌えば思い出せるんですが、楽器を持つと「歌詞以外の情報」が頭を埋めてしまう!

と。そんなデュオリサイタル。ぜひ皆様のご来場をお待ちしております。
地元、神奈川県相模原市緑区にある「もみじホール城山」が、12月19日(日)午後2時開演。来年年明け代々木上原ムジカーザ1月8日(土)午後5時開演です。
感染予防に最大限配慮して開催いたします。皆様と会場でお会いできるのを楽しみにしております。

チケットのお申し込みや詳細は
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それでは!

メリーミュージック 代表 野村謙介