ホールとピアノによる違い

上の二つの動画。
同じ曲「レイナルド・アーン作曲 クロリスに」
同じ演奏者「野村謙介Vla・野村浩子Pf」
ほぼ同じ日時(その差1か月以内)
さらに同じヴィオラ(2010年 陳昌鉉氏製作)
同じマイクセッティング(ピアノ=BLUE ( ブルー ) / Bluebird SL・ヴィオラ=sE ELECTRONICS ( エスイーエレクトロニクス ) / SE8 pair)
同じ録音機材(TASCAM タスカムDR-701D)
違うのは?
ホールとピアノです。
上の映像は代々木上原にあるMUSICASA(ムジカーザ)という定員100名ほどのサロンホール、
下の映像は相模原市緑区にある定員298名のホール、もみじホール城山。
ピアノは、上のムジカーザがベーゼンドルファーModel 200(サロングランド) 、
下の映像のもみじホール城山がベヒシュタインC.BECHSTEIN M/P192。
聴き比べてみてください。

同一プログラム・2会場でのリサイタル。すでに14年続けています。
開始当初は、地元の525名収容できる大ホールと、ムジカーザで開催していましたが、私たちには収容人数が多すぎて(笑)、このもみじホール城山に代わりました。
ホールが違うことで、音色の違い、残響時間の違い、お客様との距離の違いがあります。
当然、弾き方も変えます。

ピアノの違いは、ピアニストにとって宿命的なことです。
どちらの会場のピアノも、ドイツのメーカーで大きさもほぼ同じです。
演奏会当日に調律をお願いしているのも、同じ条件です。
それでも、まったく違う個性のピアノです。
どちらが良い悪いではなく、好みの問題です。
この演奏を生で聴き比べると、もっと!すごい違いを感じられます。

ぜひ、生の演奏会に足を運んでみてください。

ヴァイオリニスト 野村謙介

右+下=〇

はい、謎のタイトルです。
視力検査ではありません(笑)
漢字のクイズでもありません。
正解は「ヴァイオリン弾きの弓使い」のお話です。
さぁ、いってみよう!

通常弦楽器は弓の動きを「ダウン」「アップ」で表します。
日本語で言えば「上げ弓」「下げ弓」です。
確かに、ヴァイオリン・ビオラで1弦(ヴァイオリンならE線、ヴィオラならA線)を、全弓で弾けば、弓を持っている右手は、上下運動「も」します。
「も」と書いたのは、上限運動だけではないからです。
その話は、のちほど。
チェロやコントラバスのダウン・アップって、垂直方向=縦方向の上下運動ではありません。
すべてのヴァイオリン族の弦楽器に共通していることがあります。
ダウンは、演奏者から見て「右」方向に動く運動で、アップは「左」に動く運動です。ダウンじゃなくて、ライト=Right。アップじゃなくて、レフト=Left
と言わないのが不思議ですよね。←なんにでも、疑問を持つおじさんです。
つまり、演奏者から見て「左右の動き」で音が出ることになります。

では「移弦」の動きはどうでしょうか?
ヴァイオリン・ヴィオラだと、演奏者から見て「傾斜が変わる」方向に弓を傾ける運動です。たとえれば、シーソーの動きに似ています。
チェロ・コントラバスの場合は、ヴァイオリンと同じ運動に加え、演奏者を中心に考えると「水平方向に回転する」運動も加わって移弦しています。水平方向の回転運動を例えるなら、机に置いた鉛筆を、駒のように回す運動です。
今は、ヴァイオリン・ヴィオラに限った話にします。
移弦するために、駒を中心に弓の傾斜を変えます。
移弦の運動では、音は出ません。むしろ、出さずに移弦できることが必要です。
弓を持つ右手の動きで考えると、「左右に動かさずに、上下に動かす」ことで移弦できます。厳密に言えば、「ヴァイオリンの駒を中心にした回転運動」ですが、主に上下運動です。

弓の場所=元・中・先で、右手の運動相は全く違います。
弓先では大きな運動、弓元では右手の上下運動は小さくなります。

では、「音を出しながら移弦する」ときは?どんな運動になるでしょうか。
左右(ダウンアップ)の運動で音が出ます。上下の運動で移弦します。
ダウンアップでも、右手の高さが変わる1弦、2弦、3弦の場合は、さらに複雑になりますが、今はこれを除外して考えます。
タイトルに書いた「右+下」の意味、もうお分かりですね。
ダウンをしながら、下方向に動かすと「曲線運動=〇」になるという意味です。決して「折れ線」の動きではありません。
ひとつの例で言えば、ヴァイオリンでA線をダウンで弾き、スラー(弓を止めない)でE戦に移弦して弾き続けます。
この移弦する時の右手の動きは、右方向へのダウンの運動と、下方向への移弦の動きが同時に起こります。組み合わせるとも言えます。
1本の弦のダウンだけなら、演奏者の正面から見て、右手は直線運動です。
ところが、移弦をともなうと、右手は「曲線」を描くことになります。
これが、「スラーで移弦する」場合の動きです。

今度は弓を返して移弦する場合です。
実は案外気づいていない人が多いのですが、やりやすい動きと、なんとなく?やりにくい運動があります。
やりやすい運動は。
・ダウンからアップで「高い弦=右側の弦に」移弦する場合。
・アップからダウンで「低い音=左側の弦に」移弦する場合。
やりにくい運動は逆に
・ダウンからアップで「低い弦=左側の弦に」移弦する場合。
・アップからダウンで「高い音=右側の弦に」移弦する場合。
なぜでしょうか?答えは実際に右手で「時計方向=右回り」に円を描くときと、
反対方向「反時計回り=左回り」に右手で円を描くとき、どちらかがやりやすくないですか?特に速く回そうとすると、右回りのほうが簡単に感じませんか?
例えていうと、お米を研いだり、ボールの中を泡立てたりするときに、右利きの人なら恐らく「右回り」に回転しませんか?反対方向にも回せますが、なんとなく違和感がありませんか?
速く移弦しながら弓を返す場合、「低→高→低→高=ラミラミ」なら、「ダウン→アップ→ダウン→アップ」がやりやすいはずです。この「ラミラミ」を逆に「アップ→ダウン→アップ→ダウン」にすると、やりにくいはずです。
手首の運動と上腕、前腕の動きが複雑に組み合わせる移弦。
何よりも、右手の指の筋肉をリラックスるさせることが大切です。

2本の弦の移弦を連続すると?
例えば「レラレラレラ」をダウンから弓順で弾きます。
右手の動きが「∞=横向きの8の字」の形になります。
この形を連続すれば、いつまででも連続して演奏できます。
ただ、この音を逆の弓、アップから弓順で弾いてみてください。
」レラレラレラ」と音は同じでも、アップから弾くと運動がぎこちなくなりますよね?先ほどの「∞=横8の字」を逆方向に回る運動になるからです。

2本の弦を移弦するだけではなく、3本、4本の弦に連続的に移弦する場合、先ほどの「やりにくい動き」が含まれることになります。
「GDAE=ソレラミ」をダウンから弓順=一音ずつ弓を返す運動で演奏すると、
「ソレ」は弾きやすく
「レラ」はアップからで手の運動が逆で弾きにくく、
「ラミ」はダウン→アップで弾きやすい。

整理してまとめると。
移弦を伴う「ダウン→アップ」の連続した演奏は、常に右手が「回転する運動」になります。回転する方向も一定ではありません。混乱して、無意識に力んでしまい、音も汚くなりがちです。
音を出す「左右の運動」と移弦する「上下の運動」が曲の中で常に起こっていることを理解することです。
1本の弦を全弓で弾き続けている時には、「直線」の運動
移弦する時には「曲線」の運動であることを、意識することが必要です。
以前のブログでも書いた、「3次元的な観察」がここでも有意義になります。
自分を前から見た時の動き、上から見た時の動き、横から見た時の動き
これらが「同時に動いている」ことをイメージすると、練習が楽になります。
実際に自分で見ながら弾くことはできませんから、「映像を想像」することです。
頑張って綺麗な「移弦」を練習しましょう!

ヴァイオリニスト 野村謙介

「黒い楽譜」

ギョッとするテーマですが。
ヴァイオリンの楽譜は、ピアノと違いト音記号だけの「1段譜」です。
和音も少なく、どちらかという「スカスカ」なイメージですね。
オーケストラのパート譜は?というと、これが「黒い」場所が多いんです。
もっと言えば、ヴァイオリン独奏用の楽譜と比較して、圧倒的に旋律らしい部分が少ないのが特徴です。
教本やヴァイオリン小品の楽譜は、ほとんどが主旋律=メロディーです。
一方でオーケストラのパート譜は、同じリズムで同じ音を何小節も繰り返す部分や、全音符が何小節もタイでつながっていたり。
オーケストラのパート譜は、木管楽器・金管楽器・打楽器・弦楽器が同時に演奏する「オーケストラ」の一人分の台本です。主役ばかりではないのは当たり前です。

オーケストラのパートの中でも、ヴァイオリンパートは、演奏する音の数が最も多い楽器です。ヴァイオリン全員が休符になる場所は、全体の中でもほんの一部です。
オーケストラの曲は、教本などで演奏する曲と比べて長いものがほとんどです。
交響曲の中の1楽章だけでも、数ページになります。
その楽譜を初心者が練習する時に、どこから手を付けたものやら…と頭を抱えるのは当たり前です。
そこで。長年、部活動オーケストラやアマチュアオーケストラの弦楽器を教えてきた経験から、練習方法をご紹介します。

まず「曲を覚える」こと
楽譜を見てすぐに音にできるのはプロだけです。
さらに言えば、楽譜を見ながら「楽譜以外」に注意を払えるのもプロだけです。
アマチュアは、楽譜を見ながら楽譜以外のこと、例えば「ほかの楽器の音」や「指揮者の動き」や「音楽の流れ」を意識することはできません。
少なくとも、自分が演奏しようとする曲を、完全に覚えなければ、楽譜を読んでも音楽にはなりません。テンポの変わり目、主旋律などを耳で覚えることは、演奏以前にできることですし、アマチュアはここから始めるべきです。

つぎに「聴きながら楽譜を見る」こと
まだ楽器を持つ段階ではありません。もしできることなら、スコアを見ながら覚えた音楽を聴くことがベストです。スコアがないのなら、パート譜を見ながら。
オーケストラは多くの楽器が、ある時は一斉に、ある時は一部の楽器だけで演奏しながら進みます。自分の演奏する楽譜「以外の音」を聴きながら自分の演奏する音を頭の中で演奏します。この練習で、自分のパートが目立つ場所なのか、ほかの楽器を支える「影」の役割なのかを楽譜の中で見分けていきます。

つぎに「聴きながら弾く」こと
昔はテープレコーダーでしたが、いまならスマホ?
テープレコーダーの良いところは、再生しながら足の指(笑)でも
巻き戻しのボタンを押せば「キュルキュル…」と少しだけ巻き戻しができましたが、デジタルだとこれができません。アマログの便利さ!
音源をイヤホンなどで聴きながら、一緒に弾いてみます。
当然、弾けない場所だらけでしょう。それで良いのです。
狙いは、「弾けない場所を見つける」ことと「ほかの音にあわせて弾くことになれる」ことです。練習の第一歩です。

最後も「覚えるまで自分のメロディーを繰り返す」こと
プロではないので、すべての音を完全に演奏することは、どんなに時間をかけても無理なことです。むしろ、それを目指すなら違う練習をするべきです。
オーケストラで演奏を楽しむために、極論すれば「弾けない場所は弾かずに最後まで弾けること」を目指すことです。
弾けない場所を減らすことが「練習」です。
何よりも「リズム」が第一です。当然「音の高さ」も重要ですが、アンサンブルの基本はまず「リズム」です。
人と一緒に演奏する、一番の難しさは「時間を合わせる」ことです。
音の高さも、自分の音と他人の音を両方聴きながら弾くことが不可欠です。
そのためにも、まずは「正確なリズム」を理解することに専念すべきです。

話は少しそれますが、音の高さを「Y軸」に、音の長さ=時間を「X軸」にして考えることをお勧めします。
これは、ヴァイオリンの練習をする時に、いつも考えると理解しやすくなります。
ヴィブラートをこのグラフに置いてみると、とても説明しやすくなります。
細かい=速いヴィブラートは、「細かい曲線」になります。
深い=大きいヴィブラートは「縦に大きな曲線」になります。
この組み合わせで、ピッチやアンサンブルの練習が視覚化できます。
ぜひ!お試しください。

最後になりますが「黒い場所はゆっくり練習する」こと
細かい音符、16分音符が連続するとどうしても「速く弾く」と思い込みます。
弓のダウンアップの速度まで「速く」してしまい、演奏できなくなったり、
音の高さを確かめずにひたすら「運動」の練習に終始してしまいます。
ゆっくり演奏して「リズムとメロディー」を確認してから
力を抜いて「音を短く」する練習をすればよいのです。
そして、実際に演奏する速さよりも、もう少しだけ速く弾けることを目標にします。
いずれも「楽譜を見ないで弾く」ことが必須です。

弾けない場所があってもオーケストラは楽しいものです。
自分が弾けなくても、きっと誰かが弾いてくれると楽しめるのが
「アマチュア」の特権でもあります。
楽しむために努力する。
努力することで楽しみが増える。
深刻にならず、音楽を楽しんでください!

ヴァイオリニスト 野村謙介



メリーオーケストラ演奏会終了

今年で20周年、第40回の定期演奏会を無事に終えました。
回を重ねるごとに、このメリーオーケストラに参加してくれる多くのプロの演奏家たちが、「すばらしい」と称賛してくれます。
私は単純な人間なので、素直にうれしく、誇らしく思っています。

言うまでもなくメリーオーケストラは「アマチュアオーケストラ」です。
プロの演奏家が、高い技術で演奏する音楽とは、演奏技術も表現できる音楽の内容も、まったく比べられるものではありません。
むしろ私は、比べるべきではないと思っています。
プロの演奏を真似することは、アマチュアには無理なのです。
同じ楽譜を同じ編成で演奏しても、出来上がる音楽は「別のもの」なのです。
「アマチュアだから下手で良い」と言う意味ではありません。
逆に言えば「プロは、じょうずで当たり前」なのです。
アマチュアオーケストラの定義てなんでしょう?
「演奏会で入場者からお金をもらうか?」ではありません。
現実にアマチュアオーケストラの多くが入場料を徴収しています。
メリーオーケストラも過去数回、ひとり500円ほどの入場料で演奏会を開いたことがあります。結果。お客様がそれまでより、半減しました。
演奏会を開くために、ホールの使用料、賛助出演者への交通費、お手伝いの方への交通費など、メリーオーケストラの場合でも1回の演奏会で、約75万円ほどの費用がかかります。その費用を、会員と賛助会員の方たちからの「大切なお金」で支払い続けています。
NPO法人(特定非営利活動法人)だから、公的な支援があると思っている方もおられますが、違います。
また、多くのアマチュアオーケストラが演奏会で広告をプログラムに掲載して、収入を得ていますが、NPOの場合、これも基本的にできません。
「法人」ですから、メンバーは正確には「社員」です。
通常の法人社員なら「給与」をもらえますが、NPO法人の場合、社員には給与を支払ってはいけません。それでも「法人」なのです。
そんな理由もあるのだと思いますが、私が調べた範囲では、日本中に「NPO法人オーケストラ」はどうやメリーオーケストラだけのようです。

なぜ?NPO法人にしたの?
素朴な疑問ですよね。
「社会や人のために、国が定めた、何種類かの「目的」を達成するだけの業務を行い、
利益を目的としない団体」がNPO法人です。
メリーオーケストラの場合は、
「青少年の健全な育成」
「音楽の普及」
という目的のために
「月に一回の公開練習」
「年に2回の定期演奏会」
を実施し、
「会員からの月会費3,000円、賛助会費一口年間2,000円」を活動の資金とすることが「定款」で決められています。
さらに「毎年1回の定例総会を開く」「理事と幹事による役員会をおく」ことなどが決められています。「貸借対照表」も公開する義務があります。
つまりは、「目的が明確な団体である」ことを表しているオーケストラなのです。
…大したメリットはありません(笑)
ただ、メリーオーケストラの「主旨」を考えた時、これ以外の目的もなく、
これ以上の活動も無理なので、どんぴしゃ!だとも言えます。

音楽を通して、子供の成長を見守り、人の輪を広げる活動です。
そこには「技術や年齢、居住地域、しょうがいの有無」などは関係ないのです。
その上で、演奏のレベルを維持することと、お客様と一緒に音楽を楽しめることが不可欠なのです。
クラシックばかりではなく、大人が聴いて楽しい曲ばかりではなく、どんな人にでも楽しめる「コンサート」を「継続」することは、本当に難しいことです。
一人はオーケストラは出来ません。多くの演奏仲間に理解してもらって、初めてできることです。
そんな思いが、参加してくれるプロの演奏家の共感を得られるのは、プロの演奏家として、とても誇らしい事であり、光栄なことです。
「自己満足で終わらない。けれど、常に良い音楽を目指す」
音楽の「美しさ」には、プロもアマも関係ないと思います。
技術は「目指す音楽」がなければ、無意味だと思います。
メリーオーケストラの音楽は、演奏する人、お聴きになる人が、「楽しい」と思える音楽です。そんなオーケストラが日本にひとつ、あっても良いと思っています。
これからも、皆様のご理解とご協力を、心よりお願いいたします。

NPO法人メリーオーケストラ 理事長・指揮者 野村謙介

オーケストラを身近な存在に

今(2022年1月12日)から20年前、2002年1月14日(日)
小さな小さな「メリーオーケストラ」と名のついた、弦楽器による演奏集団が、初めての演奏会を開きました。
次があるのかないのか(笑)さえわからないのに、「第1回定期演奏会」と銘打って、再開発を終えたばかりの橋本駅前に、出来たばかりの「杜のホールはしもと」を会場にしました。定員520名。どう考えても大胆すぎる。

当時、私は中学・高校の教諭(いわゆる先生)として働いていました。
その学校も1985年に新設された時に、たった一人の音楽教諭として着任しましたが、誰の力も借りることが出来ない環境で、11人の部員でスタートしたオーケストラを2002年当時には150人の日本でも1・2の規模のスクールオーケストラにしていました。
地域の子供たち、自分の子供たちが演奏できるようなオーケストラを、地元で探しましたが、当然!ひとつもありませんでした。
「ないなら作る」
という安直な発想で、2001年に準備を始め「楽しい」という意味がある(だろう)と思う「メリー」という名前のオーケストラを立ち上げました。
4歳から小学校5年生までの子供たちのヴァイオリン。
ヴィオラ、チェロ、コントラバスはプロの仲間に演奏してもらいました。
子供たちが私の家や、ホールの練習室、さらには合宿で練習し、本番ではめいっぱい!ドレスアップして舞台に立ちます。
予想をはるかに上回るお客様に来場いただき、子供たちは初めての舞台で緊張しながらも、弾き終えた感動、信じられないような大きな拍手を体験しました。
ふるさと、夕焼け小焼け、赤とんぼなどを、なんとか全員で演奏し、少し難しい曲は弾ける子供たちだけで演奏しました。それでも余りに時間が短かったので、最後にプロだけの演奏も加えてコンサートを成立させました。
この演奏会が、まさか20年間、毎年2回の定期演奏会を開き続けることになることは、私も含め誰も想像していませんでした。

1回、2回の演奏会を開いてやめることなら誰にでもできることです。
継続することが、どれだけ大変なことなのかを知りました。
メンバー同士のいざこざ、指導に自ら関わってきた地元のヴァイロン指導者の
「生徒持ち逃げ」、運営自体を保護者に任せられない「信頼感欠如」など。
さらには自分自身の退職と、うつ病と闘いながらの演奏会。
それでも「NPOにしたら?」という当時のホール館長の軽い言葉を真に受け、自力で県庁に通って特定非営利活動法人(NPO)化を成し遂げました。
夏には台風、冬には大雪に見舞われたこともありましたが、演奏会は開き続けました。
メンバーの子供たちは成長とともに地域を離れるケースもありました。
それでも当時小学校5年生だった女子メンバーは、音楽高校、音楽大学と進学し、メリーオーケストラの指導者になっていました。やがてその「子」が「母」になりました。今はまだ幼く、お仕事で海外にお住まいですが、きっと帰国されたらメリーオーケストラの「2世代目メンバー」になってくれることを夢見ています。

オーケストラは器楽演奏の規模がもっとも大きな演奏形態です。
演奏に必要な「こと」「もの」「ひと」があります。
一番必要な「こと」は「絆」です。
どんなにお金があっても、人との絆がなければオーケストラは成立しません。
そして「もの」として必要なのは「ホール」です。
毎回の演奏会ごとに、ホールの抽選会に参加しています。
会場がなければ演奏会は開けないのです.
さらに必要な「もの」はずばり「お金」です。
ホールは無料では使えません。練習会場を借りるにもお金がかかります。
演奏会で参加してくれる仲間に、最低限の交通費を支払うのにもお金はいります。楽譜を作るのにも、備品を購入するのにもお金がかかります。
そして「ひと」です。
演奏する人も、聴いてくれる人も、応援してくれる人も必要なのです。
もちろん、こんな演奏に興味のない「ひと」もいます。
もっとクラシックだけやれ!という人もいます。
色々な意見を言ってくれる人も必要です。
メリーオーケストラの財産は「ひと」なのです。
今まで演奏に少しでもかかわってくれた人。
一度でも演奏会に来てくれた人。
賛助会員になってくれた人。
オーケストラ活動を20年間続けるためのエネルギーは
すべて「人」からもらいました。決して自分の力ではありません。
人の輪が広がることが、音楽を広めることです。
音楽でつながれば、人と人の「和」ができます。
争いも戦いもいらない「和」それこそが「平和」です。
メリーオーケストラを続けることが子供たちの明るい未来につながることを
ただ、願っています。

NPO法人メリーオーケストラ理事長 野村謙介



14年目のリサイタル終了

今回で14回目となる、浩子とのデュオリサイタルが無事に終わりました。
14年前…2007年の冬に始まった二人だけで演奏するコンサート。
これまでに165曲の曲を演奏してきました。数えてみて自分でびっくり。
当初はヴァイオリンとピアノでの演奏でした。
2010年からヴィオラとヴァイオリンを持ち替えてのコンサートになりました。
ヴィオラは高校時代から好きでした。学校のオーケストラで初めて演奏し
「ハ音記号」に戸惑いました。
学生時代、演奏のアルバイトでヴィオラを弾く機会が多かったので、実家に仕事の依頼の電話がある時「ヴィオラの野村さんのお宅ですか?」と言われるようになり、父親に「いつからヴァイオリンをやめたんだ」と叱られた(笑)
やめていませんでしたよ!ただ、ヴィオラが好きだったのと、圧倒的にヴィオラを弾く人が少なく、オーケストラのエキストラもヴィオラが常に足りない時代でした。

メリーオーケストラの運営、指導、指揮、事務作業と、
メリーミュージックの経営とレッスン、同じく事務作業。
年に2回のメリーオーケストラの定期演奏会、年に2回のメリーミュージック生徒さんによる発表会。加えて、年末と年始のリサイタル。
このイベントのための準備が常にある中で、レッスンをしています。
どれが大切?すべてです。すべてが私のライフワークです。
教員時代と比較し、年収は100分の1以下です。これ、本当です。
NPO法人メリーオーケストラの理事長
だけど、無報酬です。
有限会社メリーミュージック代表取締役(いわゆるしゃちょー)
だけど、現在無報酬(会社に貸していたお金を返してもらいながら生活)
だけど
高給取りの教員生活には、ぜっつっつっつっつっつっつたい!戻りません。
命をかける仕事ではありません。私にとっては。ですけれど。
妻の浩子には、本当に申し訳ない気持ちです。感謝の気持ちしかありません。
その浩子と演奏する時間「だけ」は、ほかの事を考えずに好きな音楽を作ることに全力を出せます。体力も年相応です。ふたりとも、病気と共存しながら、前向きです。

いつまで、このルーティンを続けられるのかわかりません。
「ライフワーク」は「生きている限りやる」ことではなく、「生きがいとしてやる」ことだと思っています。無理をして続けても、生きがいに感じなければ意味はありません。その時には、気持ちよくすっぱり!やめるつもりです。
何が初めにできなくなるのか?わかりません。考えることもしません。
楽しいと思える瞬間があれば、つならない事務作業(ごめんなさい!)も必要だから乗り越えられます。
楽しさも苦労も、比べるものではありません。
楽しさを期待しても、苦労を心配しても、結果は変わりません。
「楽しい」と思えることのためになら、苦労は「苦しい労働」ではなく、「労働」と思えます。
音楽家ですと、ふんぞり返る(笑)より
音楽屋です!と笑って答えたいと、いつも思っています。

メリーミュージック代表・メリーオーケストラ代表 野村謙介

ヴァイオリンとピアノの指使い

大人のヴァイオリン生徒さんたちの中で、ピアノの演奏を楽しんでこられた方が多くいらっしゃいます。
楽譜はピアノに比べて、単旋律でト音記号しかなく、きわめて「簡単」です。
もちろん、それぞれの生徒さんの技術差によって、リズムを正確に演奏できるか?や、ピアノなしで旋律を歌えるか?などの違いはあります。
その差とは別に、指使いで混乱する生徒さんが多く見られます。
そこで、今回は「ヴァイオリンの指使いを考える」ことにします。

ピアノの指番号は、両手ともに親指が「1」小指が「5」ですよね。←そこまで自信がないのか(笑)
一方ヴァイオリンは、左手の指にしか番号はつけません。親指は番号なし。人差し指が「1」で小指が「4」です。「5」はありません。
ただ「0」という数字が使われます。これは左手で弦を押さえない=開放弦を表しています。


ピアノと比較して「ひとつ、ずれている」ことになります。
それだけのことでも、長年ピアノを演奏してきた人には、「3」と書いてあれば「中指」が動きます。ヴァイオリンでは「3」は「薬指」です。
違いはもうひとつ。
ピアノの左手指番号は通常であれば、
1→2→3→4
と並べば、音が「低く変わる」ことに対して、
ヴァイオリンの指番号は、通常同じポジション、同じ弦であれば
1→2→3→4
で「高く変わる」のです。
……説明が難しい(笑)
感覚的に、音が順番に高くなる「楽譜」を見た時、
ピアノの左手であれば、
5→4→3→2→1
ですよね。
ヴァイオリンでは、順番に高くなる楽譜は
1→2→3→4
もしくは
0→1→2→3→4
です。
これを視覚的に説明すると、
左手を、手のひらを「上」に向けて、右手は手のひらを「下」に向けた状態にしてみてください。
すると、左端から、左手の親指→人差し指→中指→薬指→小指 続いて右手の親指→人差し指→中指→薬指→小指となります。
この状態でピアノは?
弾けません!よね?(弾けたらごめんなさい)
ヴァイオリンは、この状態で演奏しています。
実際には、左手をさらにもう少し「左側」にひねります。左手の小指を自分に近付けて、親指を向こう側に追いやる形です。手のひらが、少し左側を向きます。
変な向きのように感じますが、実は!
この両手の指の向きをそのままで
リコーダーの仲間も
フルートも
ギターもアコーディオンも弾けます。
言い換えると、ピアノとオルガンが、両手ともに「手のひらを下に向ける」楽器なのです。
 

指番号を頭の中で、楽器ごとに変えることはきっと大変ですね。
私たちヴァイオリニストの多くが、音楽の学校で「ピアノ副科」という履修科目でピアノを少しは学びます。あくまで「副科」です。←いいわけっぽい。
私自身、高校3年終了時のピアノ副科実技試験で、スケール全調!弾けるように「させられ」ました。両手で同時に音階を何オクターブも上がって、下がって…
私には「地獄」に思えました。手が裏返りそうになったり、同じ指で何回も弾いたり…。それでも「まし」な方でした。私の同期のフルート専攻の男子(本人の名誉のために名前は伏せます。I君)は、試験官の先生から「はい。I君。F dur(ヘ長調)ね」と温情の調を指定してもらえたのに、なぜ?そこの「F(ファ)から始める?」と誰もがあっけにとられる高い「ファ」から、ゆ~っくりと一音ずつ「ファ~~~~……ソ~~~~……ラ~~~~……」と弾き始めました。審査の先生方は、全員下を向いて必死に笑いをこらえています。廊下から覗き窓ごしに覗いていた私たちは「ばか!きづけよ!おい!」と小声で怒鳴っていました。やがて、I君の右手がピアノ右端、最後の「ド」を弾き終えた瞬間!
I君「あれ?!」…気が付いた…はるか前から、鍵盤が足りなくなることは私たちでさえ気が付いていました。審査の先生方が一斉に笑いをこらえきれず、天を仰いで大爆笑。
これぞ。副科ピアノの醍醐味です! ←意味が違う
そんな私たちですから、ピアノの指使いは「考えない」ことにしています。
中には、ピアノ科と同等にピアノを弾きこなすヴァイオリン専攻の人もいました。その方たちの頭の中、きっと脳みそが二つあるんだと思います。

話がそれまくりました。
要するに←無理やりまとめにはいる
ヴァイオリンの指番号は、
向こう側が1
こっち側が4
1234で音が高くなる。
4321で音が低くなる。
ピアノと比較しないほうが感覚的に良いと思います。
頭の中で「暗算」をするのは良くありません。
それは、読み替えの際も同じです。
感覚的に「違うスイッチ」を持つことです。
さぁ!ピアを弾ける生徒さん!
いまは「ヴァイオリンを弾いている」のです。
ヴァイオリンのスイッチをいれましょう!
(注:簡単ではありません)

ヴィオラを持つとト音記号が読めなくなるヴァイオリニスト 野村謙介

ストラディバリウスの格付け

今年もお正月のテレビ番組で、面白い実験がありました。
芸能人格付け〇△
もちろん、番組ですから多少なりとも演出=やらせの部分はあって当たり前です。
ワインやダンス、ゴスペル、お肉などの「ランク付け」を芸能人がする内容です。
その中で、ほぼ毎年のように「ストラディバリウス」を当てるコーナーがあります。
カーテンの向こう側で、「プロの演奏家」と称される方々が、
「名器」と言われる楽器と、「入門用」と言われる楽器を弾き比べます。
同じ曲を、同じ演奏者が、高い楽器と安い楽器で演奏する設定。
テレビは当然のことですが、録音する機材、音の処理、テレビのスピーカーなどで生の音とは全く違う音を私たちが聞くので、楽器本体の「音量・音色」はわかりません。
スタジオで聴いている芸能人が、ほぼ全員!安い楽器を「高い楽器」と「判定」
番組的に盛り上がりました。

牛肉と鹿肉と豚肉の「赤ワイン煮込み」を食べ比べ、牛肉を当てるコーナーでも、多くの回答者が牛肉以外を「おいしい牛肉」と判定。
調理と味付けで判断が難しいのでしょうね。
ワインも同様でした。

ちなみに、私がストラディバリウスを当てられたか?
判断不能。どうしてもどちらかを選べと言われたら?
あてずっぽうで答えます(笑)
演奏技術も重要な要素(判断を間違えた原因)ではありますが、あえてその部分にはコメントしません。おそらく、誰が弾いたとしても結果は同じです。
なぜ?あたらないのでしょうか?

あてずっぽうで、やれ「低音の響きが」とか「澄んだ音色が」だとか理由をつけて「当たった!」という方はいるでしょう。単なる「まぐれ」かも知れません。
違う見方もできます。
ワインの「鑑定」を職業にしている「ソムリエ」は、味や色から年代や産地を当てられます。ただそれは「おいしい」とか「高い」を見分ける鑑定ではありません。
ヴァイオリンの鑑定を職業にする方がいます。
ヴァイオリニストではありません。さらに言えば、ヴァイオリン製作者でもありません。
多くの写真と経験から、そのヴァイオリンが本当に「ラベル通りのヴァイオリン」であるかを鑑定します。むしろ音色や音量ではなく「見て鑑定する」方法です。

ストラディバリウスの音色をいつも聴いている人でも、違うストラディバリウスの、音だけを聴いてストラディバリウスを判別することはできません。
先ほどの番組内で、ある芸能人が「違うことはわかるけれど、どちらが安い楽器かわからない」と、ずばり!正解を言っていました。
ストラディバリウスを高く評価する人がたくさんいても、聞き分けられる人がいないのが現実です。

高い値段のヴァイオリンが良い楽器ではありません。
安い値段のヴァイオリンが悪いとも言えません。
ストラディバリウスが、世界で一番良いヴァイオリンではありません。
産地や銘柄、ラベル、値段、他人の評価で物事の良しあしを判断するのは、間違っていないでしょうか?
自分の五感で感じるものを、一番尊重するべきです。
おいしいと思うものは、その人の身体にも良いものだと言われています。
「臭い」と感じる匂いは、その人にとって有害であることを脳が教えているという学説があります。
良い楽器とは、演奏する人を幸せにする楽器です。
縁のない楽器もあります。買えない楽器は、その人にとって縁がないのです。
縁がない楽器には、その人を幸せにする「力」はありません。
本当に良いヴァイオリンと、生徒さんが巡り合えることを願っています。

ヴァイオリニスト 野村謙介

2022年は?

2022年になりました。今年は寅年=ネコ年(笑)
良い一年になりますように。と近所の八幡様に浩子とぷりんと三人でお参り。


大晦日、元旦もいつも通りの練習をできる環境に感謝です。
今年のキーワードは「ボディスキャン=自己認識」
夜、寝ながら身体の色々な場所をリラックスさせる習慣をつけています。
瞑想とまではいきませんが(笑)頭の先から足の指先まで、息を吐くたびにリラックスしていきます。途中で寝てますけど…。

楽器を弾いていると、習慣的に無意識に「余計な力」が身体の色々な場所で入っています。この無駄で有害な力を、意識的にリラックスさせることを目指していきます。
健康という面でも、自分の肉体を観察することは有意義だと思います。
私は自他ともに認める「大げさマン」です(威張ることじゃない…)
ちょっと血が出ただけで、オロオロ&あわあわします。
おかげで(ちがう気がする…)今まで生きてこられました(もっと違う…)
数年前、心不全で入院して初めて自分の身体を隅々まで調べられました。
それまで、「年のせい」にしていた筋肉の疲れ、手足の「つり」も、どうやら血液の流れが悪かったことも原因のようで、ここ1・2年、まったく攣らなくなりました。


自分を認識することは、とても難しいことです。
他人を観察するよりも、はるかに。
立って演奏している時に、すべての重み=重力を感じることから始めます。
すべての重みを、足の裏で支えている意識。
足の裏に続く足首→ふくらはぎ・すね→ひざ→太もも→お尻→腰・おなか→背中・胸→肩
そこから分かれて、首→口→鼻→目→額→頭と、
上腕(二の腕)→肘(ひじ)→前腕→手首→手のひら・手の甲→それぞれの指
すべての「自分」に意識を巡らせることを繰り返し練習します。
身体を動かす時に、必要な「力」を探すことを意識しながら楽器を弾きます。
今まで生徒さんにも自分にも「脱力」の重要性を強調してきました。
脱力するためには、自分の「重さ」を意識することが最初なんだと、
今頃になって考えるようになりました。
重たく感じることができなければ、必要な力もわかりません。
今年の目標は、きっと一生の目標になるような気がします。
毎日、繰り返します。自分のために。

ヴァイオリニスト 野村謙介

ヴァイオリン初心者の「壁」

多くの初心者にヴァイオリンを教え続けてきました。
自分自身がやる気のないヴァイオリン初心者から、ある時(中学3年生)を境に音楽専門の道に進み、音楽高校、音楽大学で専門教育を学びました。
その経験が、その後今に至るまでの音楽との関わりに深く関係しています。
親に「習わせられる」時代を経て、自分で練習することを覚え、上達することが日々の目標になる学生時代。そして、その後趣味で音楽を演奏する人と向き合う生活になりました。
中学校・高校の部活動オーケストラをゼロからスタートし、20年間の歳月をアマチュア音楽の世界に身を置きました。初めて楽器を手にする子供たちに、学校教育の範囲で演奏する楽しさを伝えました。
在職中にアマチュアオーケストラ「メリーオーケストラ」を立ち上げ、地元相模原で現在まで20年間、毎年2回の定期演奏会を開き続け来年1月には第40回の演奏会となります。小さな子供から高齢者まで、初心者もプロも一緒に演奏を楽しめるオーケストラとして、自分のライフワークになっています。
退職後、音楽教室を立ち上げ、楽器店経営もしながら、800名を超える方たちに楽器の演奏をレッスンして来ました。
そんな経験の中で、今回テーマにする「ヴァイオリン初心者の壁」を考えます。

ヴァイオリンを習い始める時点で、二つの項目で差があります。
1.年齢 2.それまでの楽器演奏経験


まず、年齢に関して言えば、言葉を理解できる年齢であることが必須要件です。
さらに、幼少期の場合、保護者の理解と環境、さらに音楽経験も関わります。
自発的に練習できる年齢、恐らく13歳前後から先は、自分が自由に使える時間が大きく変わります。
10代の子供でも塾や他の習い事、部活などで楽器を練習できる時間が大きく違うのが現代です。
社会に出る年齢になると、仕事や住宅環境で練習できる時間に差が出来ます。
年齢を重ね、いわゆる「高齢者」になっても楽器演奏に必要な筋力、運動神経には大きな障害はないのが現実です。「この年になって」という言葉は、実は自分に対する諦めの言葉だと思います。

次に、それまでの楽器演奏経験です。
言葉を理解できるようになって初めて楽器を習う子供は、当たり前ですが楽譜も読めない、音の名前も知らないわけです。この時から楽器を習い始めると、音の名前と音の高さを繰り返し「学習=覚える」ので、絶対音感を身に着けられます。単純に考えれば、この時期から始めれば一番良いように思いがちですが、実際には、こどもは「飽きる」のが当たり前なのです。
どんな年齢の初心者でも、最初に突き当たる壁は「飽きる」ことなのです。
楽器で音が出ることが面白いのは、ほんの「数回」のことなのです。
音が出せた面白さから、次の面白さを体感できるまでに、「飽きたからやめる」人が一番多いのが実状です。特に幼少期の子供の場合、保護者が家庭でこどもに楽器を練習することを習慣づけ、次の面白さを見つけられるまで「引っ張る」ことが出来なければ、100パーセント子供は楽器から離れます。
楽器を演奏する経験とは、このことです。
つまり、音が出せた!面白さの次にある楽しさを体感するまで「耐える」ことが最大の経験なのです。この経験こそが「楽器を習った経験」になります。
言い換えれば、楽器を習い始め、音を出せた楽しさから、次の楽しさを感じられるまで続けられれば、その次の楽しさを求めることができるので、ずっと続けられます。
ただ、環境が変わって楽器の練習が出来なくなった場合、違う楽器を習い始めることも実際には多いのです。その場合には「耐える」ことを知っていますから、すぐに飽きてやめるケースは少なくなります。

飽きる壁を乗り越えた先にある「初めてのヴァイオリン上達の壁」は?
1.音の高さを視覚的に感じにくい楽器であること。
ピアノは平面的=2次元的に「右が高い音、左が低い音」ですし、白と黒の鍵盤の並び方を「見れば」音の名前を見つけられる楽器です。
ヴァイオリンは?言うまでもないですね(笑)複雑怪奇です。
2.音と音の「幅=音程」を自分で聞き分ける技術が必要
ピアノは「ド」を弾きたければ「ド」の鍵盤を押さえれば「ド」が出ます。
そのほかの音も同じです。
ところが、ヴァイオリンは「ソ」「レ」「ラ」「ミ」に調弦=チューニングした音を基準に、そこから自分で音の高さの幅を考えながら、音の高さを探す技術が必要なのです。これを「相対音感」と言います。
良く目にするのが、ヴァイオリンの音の高さを「チューナー」で確かめていれば、いつか正しい音の高さで弾けるようになると「思い違い」をする生徒さんです。チューナーを使うのは間違っていませんが、基本は「開放弦=ソレラミ」からの音の幅を一つずつ覚えていくことです。
これを簡単に言うと「メロディー(曲)として次の音を歌えること」です。
鼻歌を歌った時、音の名前「ドレミ」を気にする人は、ほとんどいません。
むしろ、「メロディーを歌う」のが鼻歌です。その鼻歌の「最初の音」から「次の音」までの「幅」の事を音程と言います。
もし、初めの音の「名前」が「ド」だとしたら、次の音の「名前」がわかるでしょうか?
かえるのうたが~きこえてくるよ~
を鼻歌で歌ってみてください。
かえるの「か」を「ド」だとします。
かえるの「え」は?答えは「レ」です。
かえるの「る」が「ミ」です。
ドレミファミレド~ミファソラソファミ~
一つのたとえです。
ヴァイオリンの音の高さを探す方法として、「なんちゃって絶対音感」で音を探そうとする「チューナー様頼り」から、少しずつでも「音程」で音を探す練習をすることをお勧めします。
3.汚い音が出る「原因」が複数あること
これは「きれいな音で弾く」ことへのプロセスです。
むしろ、きれいな音の定義は難しすぎます。初心者が感じる「汚い音」の擬音、代表例は「ギーギー」「キーキー」「ガリガリ」です。
弓の速度、弾く場所、弓を弦に押し付ける圧力、弓と弦の角度
弓に関することだけでもこれだけ(笑)さらに
左手の指の押さえる力が足りない場合、押さえるタイミングと弓で音を出すタイミングの「ずれ」、弓で弾いている弦と左手で押さえる弦が「一致しない」など。
汚い音が出る原因が、右手にも左手にもあるのです。
それらが複数、重なっている場合もあります。
つまり、きれいな音を出すために必要な技術は、複数の運動を同時にコントロールできなければ出せないことになります。
壁だらけ(涙)です。
ただ、ひとつずつの運動を分離して練習し、「足し算」をしながら複数の運動をコントロールする練習は、特別なことではありません。

壁を乗り越えるための「練習方法」は?
・毎日の練習に最低限の「ルーティン」を作ること。
例えば、調弦を兼ねて開放弦を、全弓を使って、一定の長さ=速さ、一定の圧力=同じ大きさ・同じ音色で、1本ずつの弦を何往復ずつか弾く練習。
・ルーティンの中に、「左手と右手」を分離した練習を必ず入れること。
・曲を弾く練習は、まず「音の高さ=メロディー」をヴァイオリンを使わずに、ピアノやキーボードなどを使って「理解」し、声で歌えるようにしてからヴァイオリンを使う。
・曲の練習で「できないこと」「苦手なこと」を見つけたら、曲の練習からいったん離れ、その練習だけをする時間を「少し」作る。曲の練習と混合しないことが大切。
・曲を弾けるようになるための「複合技術」を身に着けるために、引き算をしないこと!つまり、音の高さを正しくするために「汚い音」になってしまうのが「引き算」です。練習の基本は「足し算」を繰り返すことです。
・ピアノと違い、「音の高さ」と、「音量・音色」を決めるものが「鍵盤」という一つのものではなく、左手と右手を常に同時に使わなければならないことを自覚すること。だからこそ!ストレスが大きいのです。

「あきないこと」→「あきらめないこと」が秘訣です。
がんばって!壁を乗り越えましょう!

ヴァイオリン指導者 野村謙介